LUZの熊野古道案内

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2009年 07月 10日

熊野の旅 探せば見つかる 大正・昭和

 田舎の町、戦災にあわなかった田舎町では大正時代や昭和前期の建物などが結構残されています。
 と、言うより、残っている物の方が多い町もあるのです。
 木造住宅は都市部の粗悪な住宅以外なら百年くらいはもって当たり前のものです。
 でも、生活様式の変化などで使いにくくなるし、屋根の葺き替えなど維持費もかさんでくるので建て替えられてしまうことがあります。
 私も古い町屋で過ごした時代があるので、いかに住みにくいかを体験した者です。
 ある程度年をとったら、その住みにくさも段々苦にならなくなり、育って守ってきた『家』の大事さが分かってくるのですが、若くて、まだまだプライベートも欲しい時代には、「町屋」は本当に嫌な物なのです。
 建物が大きく見えても、図体が大きいだけで、空間的には全部が一つみたいな物が多いからです。
 クーラーも無かった時代、兼好法師じゃないですが、『夏を旨とした建物』でしたから、前から裏まで開け放して風を通せるようにしてありましたからね。
 つまり、全部屋開け放して風を通すと言うことです。
 生活の知恵で、夏場はその間仕切りのふすまや障子をヨシズの入った、今で言うなら「網戸」のような物に変えていました。
 つまり・・・隣の部屋が見えると言うことです。声も音も聞こえます。
 おまけに、三世代同居なんて当たり前でした。
 それでも、今より沢山子供は出来ましたが・・・

 テレビなどでは、京都の町屋を『よく出来ている』と取り上げますが、確かに町屋はよく出来ています。
 間口の狭い敷地を旨く利用しています。
 観光客には受けるでしょうね。
 でも、あそこであなたが暮らすとしたら・・・
 ある程度年も食って「文化人」になった人はある意味人間ではなくなってきていますから、それも楽しいのでしょうけどね。
 かくして、田舎の町屋はかなり減っています。
 最初は住み難いので、跡取りが郊外に住んだりして建物が守りされなくなりました。
 そして、今は、住民自体が居なくなって消え始めました。
 でも、これも仕方ないことでしょう。
 町自体が消えるかもしれないのですからね。

 今なら、町を歩きながらきょろきょろすると。表だけは改修されていても、わき道側とかには、大正期や昭和前期の様式そのまま残された建物がまだまだ残っています。
 下の建物は、『旧・木本町役場』だった物です。
 この壁と、窓の閉まった二階部分の内側だけが当時のまま残されています。
 表側と一階の内部は雑貨屋さん『丸太商店』になっていますから、面影はありませんけどね。
 すぐ前を『熊野古道』を歩く人が通り、この道を地元の人も通るのですが、こうして見上げる人もほとんどありませんし、ここが「役場」だったことを覚えている人も居なくなってきました。
 もっとも、私も知っているのは『丸太商店』になってからです。
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熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-07-10 09:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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