LUZの熊野古道案内

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2009年 06月 27日

熊野の旅 熊野の民間信仰 山の神

 一昨日の「庚申様」より多分、沢山あると思われる民間信仰の対象は『山ノ神』です。
 山又山・・・そして、その山を生活の糧としてきたこの辺りでは、山の恵みなしでは生きて行けなかったからでしょう。
 ことに、江戸時代、明治、大正、昭和と時代が下るにつれて、紀州財が地域を支える大きな柱になっていったので、手厚く祀られるようになったようです。

 山ノ神はどう言う訳か、「神様」なのに、他の神様とは別扱いですね。
 何しろ、10月に日本中の神様が出雲に集まって、集会やら忘年会やら知らないけど国中が留守になると言う時にでも、「山ノ神」だけは地元に残るようですからね。
 「山ノ神」は女の神様だそうですが、それが理由ではないでしょう。
 「天照大神」も「弁天様」も女ですからね。
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 この小さな祠は熊野市飛鳥町小阪字平の「山ノ神」です。
 実に小さな祠ですが、今の時代では一番きれいに祭られている山の神といっても良いくらいです。
 この「山ノ神」も岩壁のへっこんだ所に祀られていますが、この辺りの山の神はこうした場所にあるものがほとんどです。
 洞穴とかのほとんど無い地域ですから、そうした神のよりしろを求めにくかったからでしょうね。

 「山ノ神」は女の神様で、他の八百万の神が出雲に出かけても留守を守るということで、「嫁さん」のことを「やまのかみ」と呼んだりしていましたね。
 神様なのに神様でもなさそうな「山ノ神」だからそういう風に使われても畏れ多いなんてことは無いでしょうね。

 古代信仰とか土着信仰というものには、性器崇拝が結構多く、これは世界共通のようです。
 多神教の国、インドではあちこちに男性器が立てられ、拝まれていると聞きますが、日本でも自然石でどちらに似た物も信仰の対象になっているようです。
 そして、非常に民衆の近くにある「女の神」・「山ノ神」では、男どもによって作られた「男根」が供えられていることが多かった物です。
 久々に訪れてみた「平の山ノ神」には「男根」の供え物はありませんでした。
 これも時代なのでしょうかね。
 私が子供の頃には、何本も供えられていましたけどね。
 手間隙掛けて削りだした実に立派な物が多かったです。
 男共の腕自慢でもあったようです。

 大体、その頃はおおらかと言うか・・・
 子供たちは並んでしょんべんの飛ばしっこをしたり、大人の男共も何かと言うと自分のを見せびらかしたり平気でしていましたからね。
 更にその少し前までは『夜這い』なんてのが存在したわけですからね。
 「浮気」とか「不倫」なんて不道徳っぽい響きのものではなく、もう少し緩やかなものだったようです。
 そんなおおらかな生活の中で祀られてきた「女神様」ですから、供え物に「男根」が並んでも当たり前だったのでしょうね。
 いまでも、地域や地方によっては供えられているようですからね。

 ここの「山ノ神」は民家のすぐ脇にあり、隣の民家の人などがきちんと掃除をして祀り続けてくれているようです。
 山ノ神の祭りは同じ熊野でもずいぶんばらばらで、11月、12月、1月にあるようです。
 ここは1月7日だったのですが・・・ひょっとすると曜日制に変わったかもしれません。
 田舎も勤め人が増えたので「祭りの日」が動くように変わったところが多いですからね。
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 「山ノ神」も過疎・老齢化に加え「林業不振」「山村崩壊」などが追い討ちを掛けるので、どんどん信仰対象から外れていっているようです。
 民間信仰に支え照れてきただけに、住民がいなくなったのでは成り立ちません。
 もう少しすると、何処にあったのかさえ分からなくなる「山ノ神」が出てくるでしょうね。

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-06-27 09:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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