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LUZの熊野古道案内

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2009年 06月 26日

熊野の旅 大又川 堰

 熊野市の背骨部分の山の裏側を流れる大又川沿いは、河川敷と言うほどの平地はない物の、最上流から少しずつある平地ごとに集落があります。
 吉野山地ほど急ではないのでそれぞれの集落には田んぼがあります。
 水田を維持するには安定した水が確保されなくてはなりません。
 地形の関係で「谷」が意外と少ないのもこのあたりの特徴です。
 「大又川」の流域の山はさほど深くないのです。
 「大又川左岸」、国道42号線が走っている側は切り立った山が迫っていて、後ろには大きな山塊がありそうなのですが、実は一山越えれば海なのです。
 十重二十重に山がつながるのではなく。一重二重の山並みなのです。
 つまり、いくら雨の多いところでも、渇水期にも水の切れない、水田までまかなえるような「谷」はあまり出来ないと言うことです。
 山の襞は『峪・さこ』と呼ばれます。
 水の切れない「峪」も沢山ありますが、飲み水の確保程度ですね。

 「大又川」に沿って点在する集落の水田の水の多くは本川「大又川」から取水されています。
 急流ですから 当然勾配がきついです。
 結構深く落ち込んだ川からの取水でも、よその川よりは取水口が近くても上の段の水田に水を送れます。
 それでも、取水してから目的の集落までは1Kmとか離れていますし、よその集落を通してもらわなくてはならない物もあります。
 少ない平地に作られた限られた田んぼ用地によその水路が通るのです。
 人間の歩く道なら、迂回も出来るし、上がったり下がったりが許されますが、水の道はそうは行きませんから邪魔と言えば邪魔な物です。
 それでも、きちんと計画されて大昔に出来上がっています。
 教育テレビの歴史の時間などでやっているような「荘園時代に作られた水路」なんてのは全国では当たり前なのでしょうね。
 水勾配を計算し、延々と築いた水路を時代に応じた工法で改修を重ねて使い続けている物と思います。
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 写真は『平堰・だいらせぎ」と呼ばれる物です。
 「平部落の農業用水用堰」と言うことで、あるのはひとつ上流の集落「本郷」の一番上流(上・かみ)です。
 十年ほど前に大改修が行われ今ではコンクリートのしっかりした堰になっています。
 しかし、それ以前は、一部コンクリートの部分があるだけで、石垣と丸太と板を組み合わせて作られた物でした。
 豪雨地帯の急流の「大又川」ですから、大雨が降ると川が暴れ、堰が破壊されます。
 場合によっては1トンもあるような岩でも転がるような激流になるのですからね。
 梅雨時の集中豪雨、夏台風・・・田んぼに水のいる時に堰が壊れたら稲が全滅しますから、水が引く前に修理しなくてはならなかったのです。
 急流の中で、壊れた部分に岩を転がして少し穴をふさぎ、残りは「杉芝」などを詰め込んで水位を確保したのです。

 「平」の家の数は14戸でした。
 それだけの戸数で急流に入り、潜って岩を転がしたり、ものすごい水圧の中で「杉芝」を詰め込んだり出来る人間を確保するのは大変なことでした。
 この堰を「きちんとした物にしたい」というのが集落の夢でしたが、この場所は岩盤ではなく、ごろ石の川底だったので簡単には出来なかったのです。

 今では洪水のたびに直すと言う作業はなくなりました。
 これも、「圃場整備事業」のおかげでしょうか・・・
 前のままだと、もはや水に潜るなんてことの出来る人がいなくなったので水田放棄にならざるを得なかったでしょうね。
 うんと下流の、集落入り口での電動ポンプによる揚水を検討したこともあるのですけどね。
 維持管理などを考えるとそのほうが安いかもしれなかったのですが、水路を守るほうを選びました。

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-06-26 10:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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