人気ブログランキング |

LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2009年 06月 23日

熊野の旅 国道42号線 佐田坂 1

d0045383_10132855.jpg

 紀伊半島を周遊するように走る国道42号線には昔から「難所」と言われるところが何箇所かあります。
 昭和40年代の大改修以前には全線難所のようなものでしたが、そんな中でも『荷阪峠』『鷲毛峠』『矢の川峠』『佐田坂』などの峠道は難所中の難所でした。
 道は狭い、急坂だ・・・そして、その時代のトラックは馬力が無い・・・大変なものでした。
 
 写真はその中のひとつ、『佐田坂』の頂上の「小坂トンネル」の大泊側入り口です。
 今はこうした材木を積んだトラックの数も減ってしまいましたが、以前は沢山走っていて、砂利道の一車線道路を時速20Km以下で登っていたものです。
 上るのがやっとですから、退避場に入って後続車を前に出すのも大変だったのです。
 急坂部分で車を停止させてしまうと、「サイド発進」「一速発進」を併用してもぎりぎりと言うこともありました。
 昭和30年代までのトラックでは、『ローギア』と『セカンドギア』とのシフトアップのところでは『シンクロメッシュ』が働かない車がほとんどでした。
 今の人には理解できないでしょうね。
 バスでもトラックでも、ギアを変えるときには、クラッチを切ってギアを抜き・・・クラッチをつけてアクセルを空吹かししてクラッチ板の回転をあげておき・・・もう一度クラッチを切ってギアを手早く入れてクラッチを戻す・・・
ダブルクラッチと言うテクニックを使ったものです。
 私たちの時代の子供の自動車遊びの擬音は。『ぶーぶー・・・・ブン・ブブン・・・・ぶーぶーぶー』でした。
 『ブン・ブブン』の部分がダブルクラッチなのです。
 今のトラックではよほどのことが無い限りローギアの必要も無いようですけどね。
 私が運転した6トン車は、いすゞのボンネットの物で、このあたりではボンネット最後のトラックになるまで現役でしたからダブルクラッチの必要がありました。
 今の4トン社より粘りはあっても馬力の無いエンジンでしたから、佐田坂を材木満載で登るのは疲れる仕事でした。
 後続車に迷惑を掛けるのも疲れる原因のひとつでしたね。

 このトラックには後ろに重機がついていて、道端にある集積場の材木をひっ捕まえて荷台に積むことができます。
 今の運転手は『鳶口』や『鶴』と言った、材木を操る道具を使うこともなくなってきています。
 単純な道具だけに、かなりコツが要ります。
 こつを覚えれば、てこの原理などを応用して力を何倍にもして使えるすばらしいものなのですが、消えてゆくのでしょうね。
 私も見よう見まねで少しだけ使えるように覚えたものでした。
 さほどの力持ちでもない私が丸太をトラックに積むには覚えないと出来ませんからね。
 『鶴・つる』を使えば200Kgを越す丸太でも少しずつ場所を変え所定の位置にすえられるのです。
 不定形の丸太でもきちんと積み込まないと荷崩れを起こし、走行不能になったり、悪路の場所では場合によってはトラックをひっくり返しますから結構大変なものだったのです。
 昔は、トラックの運転手と言えば力持ちの代名詞だったのですが、今ではパワーハンドル、パワーゲート、ユニック、フォークリフト・・・色んなものが用意されていて、女の子が長距離便に乗る時代ですからね。
 昔だったら、トラックの箱の扉・あおりを上げることすら出来なかったでしょうね。自分のトラックのあおりを上げられないようでは雇ってもらえませんからね。

   カメラは

 レンズはカール・ツァイス・イエナ ゾナー135mm f4 東ドイツ
 
熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-06-23 10:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/9896507
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 国道42号線 佐田坂 2      熊野の旅 夏 大又川 鮎 2 >>