夏が近づき、太公望とか言われる人たちが川辺に集まる時期です。
日本人が非常に好む魚、『あゆ』の季節になるからです。
『季節』、『旬』を大切にしてきた日本人には、一年魚でほんの一時期しか口に入らない『鮎』はその独特の風味とともに愛でるに適したものなのでしょう。
鮎という魚は河口で産卵し、海に入ってから遡上し初夏には最上流部の渓流にまでたどり着くものです。
その間に、川底の石に生えている水苔を食べて急速に大きくなります。
たった半年で7寸、8寸まで育ち、又、海に下るのですからまさに日に日に大きくらると言うくらいで成長します。
ものすごく大きくなるのが早いということは、食欲がものすごいということにもなります。
その食料を確保するために、縄張り競争が激しく、自分の縄張りに他のが入ることを嫌い、追い払いにかかります。
その習性を使ったのが『友釣り』という方法です。
『おとり・友鮎』と言われる生きた鮎を「鼻かん」と言われる輪を鼻に通して釣り糸につけます。その体のすぐ後ろには『釣り針』が仕掛けられています。
この『おとり』を鮎の居そうな『瀬』に入れて泳がすと、元々その場所に住みついていた『鮎』が体当たりで追い払いに来ます。
かなりしつこく追い掛け回しますから、その勢いで釣り針に引っかかります。
これが『友釣り』です。
『友』なんてとんでもない話です。
その習性を利用した最初の人はたいしたものです。
日本では『鮎つり』=『友釣り』くらいのものですからね。
紀伊半島の南の水を集めて下る、『熊野川』にも、昔から鮎が住んでいました。
そして、新宮で産卵し、それぞれ親が育った支流を目指して遡上したものです。
しかし、昭和30年代にこの清流が『熊野川総合開発』によってダムが作られ寸断されてしまいました。
巨大ダムで、魚道なんてありませんから、『鮎』と『鰻』は遡上できなくなりました。
今では、琵琶湖から運んだ「稚鮎」を毎年放流しています。
これは日本中の川で言えることです。
同じDNAを持つ『湖産』と言われる鮎ばかりになってしまったのです。
それでも、川によって水が違い、苔が違うので味が違うものです。
熊野市の『大又川』の鮎漁も解禁なっています。
大又川は水が冷たく、生育が遅いので解禁が6月中ごろになります。
ようやく、鮎つりのシーズンに入ったのですが、平日には釣り人の姿がほとんど見なくなりました。
地元の『釣りきち』達も川に入らない年になってきたようです。
昔なら、瀬の中に立ってつっている人が多かったのですが、今では長い竿を使って岸から釣っています。
釣果の方はどんなものなのでしょうね。
熊野市周辺地図です