LUZの熊野古道案内

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2009年 06月 19日

熊野の旅 とうとう撤退 熊野高専

 時々取り上げる『近大高専』・・・以前は『熊野高専』と言われたものが、生徒不足を理由に熊野からの撤退を発表したようです。
 この『熊野高専』は5年制の『工業高等専門学校』が高度成長期に入る頃に誕生したときに、国立の「高専」などとともに誕生したものです。
 折から、理系の学生は「金の卵」として期待され、それを育てる『高専』に対する期待は、国・経済界・父兄などでものすごく大きかったのです。
 三重県では『国立鈴鹿高専』も誕生し、その期待感から、入学の難度は三重県随一だった「県立津高校」の上を行くとまで言われ、全国からの優秀な生徒を引き寄せたものでした。

 5年間で技術者を育て、卒業時には「短大同等」の資格を与え、希望者は四年制大学工学部の4年生に編入できる・・・という、夢のような触れ込みもあったからです。
 現実は・・・
 『近大付属熊野高専』のように総合大学の系列校はまだしも、最優秀な生徒を集めたはずの『国立高専』では、折からの四年制大学理工学部の人気もあり、四年編入なんて窓口を開いてくれる一流国立大学も一流私立大学もありませんでした。
 近畿大学でも、受け入れ人数制限も厳しく、普通の付属高校のように成績しだいで文系に回るということもないので結構厳しかったようです。
 近大以外の大学に対しては、5年卒業でも3年終了の生徒と同様一般入試でしか進学できなかったのです。
 これでは、本人も親も二の足を踏んでしまいます。
 ほぼ半世紀前のように、大学進学率は低かった頃はまだしも、率が上がるとともに苦戦に陥ったようです。

 開校した当時の『近大熊野高専』には学科もたくさんあり。『金属学科』のようなものもあり、私が大学で使ったのと同じ教科書が熊野の本屋にも並んでいてびっくりしたものです。
 何しろ、そうした教科書は大学のそばの特定な本屋でしか手に入らないものでしたからね。
 年とともに、需要の少ない学科は整理され、男子校だった『高専』も女子に門戸を開き人気回復を図った・・・と、言うより延命を図ってきたようです。
 さらに、定員割れなのに、『特待生』などを取り続けて、数のつじつまあわせもやり続けていました。
 『学校経営』などと言うものは、そもそも儲からないのに、定員割れし、特待生の比率が上がったのでは・・・
 ということで、まったく経営が成り立っていないようです。

 今から十数年前に『熊野市総合計画』を策定したときに、この高専に夢を託すような記述が用意されていましたが、すでにそのときには定員回復の見込みもなく、裏では撤退が検討されている状態でした。
 「新しい学科の増設」なんて、夢を書くのではなく、いかに高専を維持するかに力点を置くか・・・にするべきだと主張して、高専から委員として入っていた先生には賛意を表して貰いましたが、全般としてはちょいと嫌われ者扱いされた経験があります。
 私としては、よくここまで維持してきたものだ・・・
 さすがは、東の「日大」に並ぶほどの巨大校、「近大」は大したものだと思います。

 当面は同じように生徒不足で閉校の決まっている『皇學館大学名張校』の後者を使いことで域のびを模索するようですが、今時、中途半端な名張市移転では赤字の上積みをするだけみたいな気がしますね。
 希望者全部を近大工学部に受け入れる約束しても、母体が「近大」ということにどれだけの親と生徒が魅力を感じるか・・・
 熊野市や南牟婁郡でさえ、普通高校経由受験で志望校を目指す時代ですからね。
 難しいです。
 しかし、在校生の6割以上がよそからの生徒さんですから、これが居なくなると・・・
 予定通り2010年の募集を最後にすると、10年の春は毎年通り、3月にドカンと減って4月の戻る、熊野市の人口動態は来年でおしまいで、それから5年間は卒業生の数だけ3月に減って、そのまま次の三月を待つということです。
 先生の転勤を含めると、5年で700人くらい減ります。
 20000人の中の700人は大きいですね。
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熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-06-19 11:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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