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LUZの熊野古道案内

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2009年 06月 11日

熊野の旅 都市計画

 日本の街は結構古くから「都市計画」に基づいて作られてきたようです。
 ギリシャやローマ、中国の都ほどではないにしても、平城京や平安京は中国の都に倣って東西南北に整然と道を引いて建物を配置して作りましたね。
 戦国時代は敵がお城にたどり着きにくいようにわざと迷路のように計画したとか・・・
 他の街でもそれなりに表通り、裏通り、わき道。横道などを配置して作った物が多いです。

 ここ熊野市の中心、木本町も江戸時代には浜街道を表通りにし、代官所の前の通りをそれに平行に造り、それに直角に交わる細めの道を作ってほぼ碁盤の目に作ってありました。
 紀元2600年の時に記念通りを作るときも、その街の原型に合わせて新しくて広い道を作ったのです。
 町の幅も500mあるかないかですし、碁盤の目状ですから非常に分かりよい町です。
 地図の読めない女の人でも分かると思う町です。
 ???
 そういう人は・・・
 『こっちとこっちに山があるから・・・』と言うことには思い至らず、ぐるぐる地図を廻すのかもしれませんね。
d0045383_1035660.jpg

 木本の町は田舎町でも割りと整然としています。
 もう少し大きくて、もう少し情緒があって、もう少し名刹でもあれば『小京都』と、呼ばれたかもしれませんね。
 隣の新宮の方はもっと平らなところも広いし町も元々大きかったのに、城下町だったからなのか、四角な町がずらされていてあるきにくい町です。
 目標物も少ないし下手すると迷子になる町ですね。
 でも、木本は歩きよいけど、徒歩でも15分ほどで長い方の道筋も通り越してしまいます。
 本当にこじんまりし過ぎていますね。

 最近気づいたのですが、この整然とした町の裏通りや横道・縦の道が微妙にずれていたり、微妙に道幅が変わるのです。
 一軒だけ飛び出している『境面・さいめんせせり』ではなく、その並び全体がせり出したところもあるのです。
 原因はよく分かりません。
 綺麗に揃っているので、当初からなのか、せり出した家にそろえて、建て替えのたびに全部出てしまったのか・・・
 こんなに以前から出ているのは、法務局の土地台帳では確定できないでしょうね。
 古い台帳の図面は、毛筆・手書きだったですからね。
 これがきちんとして図面になって来たのは戦後、田舎では昭和末期です。
 この辺りのことは、次の機会に、機能開通した『国道311号線・波田須バイパス』を取り上げる時にでも書きます。
 まあ、家の古さからして、毛筆の地図時代には出ていた感じです。

カメラは

 レンズはカール・ツァイス・イエナ ゾナー135mm f4 東ドイツ

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-06-11 11:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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