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LUZの熊野古道案内

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2009年 06月 06日

熊野の旅 田舎の子 2

 「田舎の子」と言うより、「昭和の子」と言った方が私の子供の頃を表すには合っているのかも知れません。
 結構人口の多かった筑豊の町などの子供も土門拳さんの写真などでは私たち以上に「田舎っぺ」に見えましたからね。
 何しろ、東京にもまだ『浮浪児』なんてものが残っているし、『ルンペン』なんてハイカラな名前の乞食が居たのですからね。
 日本は半世紀前には今で言う『ホームレス』が当たり前の国だったのです。
 ほんの少しの間だけ、世界の中でうまく立ち回って浮かれていただけのようです。
 その間に、「田舎の子」が減ってしまって、「都会の子」でもない「中途半端な子」が増えていったようです。
 今じゃあ、田舎で育っても木登りも出来ず、素手で魚を捕まえることも知らず、蝗を焼いて食べることも知らず、山芋の見つけ方も掘り方も知らず・・・サバイバル術などまるで身についていない人間ばかりになってしまっています。
 『昭和前半分』の田舎の子供なら、ノコギリ一丁もあれば雨露をしのぐ屋根くらいは作れるように育ちました。
 「サバイバルナイフ」なんて大層なものが無くても、「肥後守」で何でも作れました。

 子供が学校指定の「水泳場」にしか降りなくなり、竹細工など作って遊ばなくなったし、大人も川原や山の竹などを使わなくなったし、洗濯にも川を使わなくなってから、川へ降りる道や裏山に入る道が消えていっています。
 田舎の生活が、山と川に支えられていたものだったのに、今では山と川に押しつぶされそうになってきています。
 かろうじて自分たちの周りだけに人の手の入った空間を確保している有様です。
 昔、15歳以下が300人ほど居た、私の育った熊野市飛鳥町小阪地区でも、今では50人居るのでしょうかね。
 これじゃあ、遊びまわって草原に踏みしめた道を作るところには行きませんね。

 百姓さんが牛を飼っていたのはその頃までです。
 牛が居るから、家の近くの川原や里山は『草刈り場』として定期的に刈り取られ、牛の好きな「すすき」や「あざみ」などが生えた草むらでした。
 川原の草地は牛の放牧に使われ、牛が綺麗に草を食べてくれました。
 この里地を綺麗にする動物も居なくなりました。
 牛小屋の臭いとハエがなくなった代わりに、里地が荒れてゆきましたね。

 かくして、昭和までの「手入れされた田舎」がどんどん姿を消しました。
 同じように、「鼻をたらした田舎の子」もどんどん居なくなりました。
d0045383_11351133.jpg

 昭和32年(1957)熊野市立飛鳥中学校・・・この二人も飛鳥を離れてよそに住んでいます。
 『平凡』『明星』が若い衆の愛読書だった時代です。
 テレビの時代ではなくラジオの時代ですから、芸能ニュースはその二つだったわけです。
 レコードがSPからEPに変わる頃だったのでしょうかね。

カメラは オリンパス35S1.9

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-06-06 11:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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