LUZの熊野古道案内

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2009年 05月 30日

熊野の旅 石垣だらけの熊野 2

 熊野市の山間部の屋敷は少ない農地を少しでも減らさないように山際に、それも少し山に食い込んだように掘り込んで造成されています。
 比較的新しく作られた屋敷は完全な平地にありますが、江戸時代や明治の頃ではそんな恐ろしいことは出来なかったのでしょうね。
 山の中の田舎に行くと、屋敷と言うものは水田にならない場所を選んで作られていることが多いのですが、ここ大又川流域の屋敷は斜面が急で中腹に屋敷を作ったりしにくいので、平地の端っこに作ったのでしょうね。
 
 半分山に食い込むような配置ですから、家の後は山肌の崩壊を防ぐ石垣です。
 下の写真は、我が家の畑で「やしき」と呼ばれるものの石垣です。
 水田から一段上がっていて田圃にはならない場所です。
 地面にも人力で取り除けなかった岩が顔を覗かせている畑としてもさほどよくないものですが、この辺の屋敷としては広い方です。
 この石垣の高さは4mくらいで、後ろはすぐに切り立った山です。
 今は家が無く、日当たりの良い東南向きの石垣なので乾きますが、家があった頃は、横戸の旱魃で無い限り年中湿っていて水気たっぷりだったはずです。
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 自然石をうまく組み合わせた石垣で、あちこちに掘り込んでゆく時に出てきたらしき大きな岩を抱き込んでいます。
 今の工法でこんなことをやったら怖くて家が建てられないと思います。
 私が子供の時には隅っこに小さな家が一軒建っていただけですので、ここに家があったのかどうかは分かりませんが、「屋敷」と呼ばれるところを見るとそのために作ったものと思われます。
 この更に二段ほど上に『上の屋敷』と言われる畑がありそこへ登る石段は明らかに畑用に作られた石段ではないですね。

 このような石垣で山を押さえて作った屋敷に家を建てる時、すき間が非常に狭いのです。
 『屋敷』とは呼んでいますが、全部狭いものなのです。
 この畑などは広い方なのですが、150坪ほどでしょうかね。
 農家は、「母屋」「納屋」「牛小屋」を建て、農作業用の「庭」も必要ですからぎりぎりになります。
 農作業用の庭ですから日当たりの良い必要もあるので。『母屋』がどんどん後ろに下がってしまい、石垣との間が広くて一間、狭いと人が通れないなんてのがあります。
 戦前で言う「小作」の人の言えなどは、裏が通れないほどの家が多いのです。

 この屋敷の構造が、飛鳥など山間部の家の住みにくさになっています。
 こうした石垣から染み出す山水や湿気が家の後半分にこもります。
 床下が高く、風通しをよくしたところで解決できるような代物では無いですからね。
 
 昔の家は、日当たりの良いところは縁側と客用の座敷が占めている『田の字型』の家です。
 生活空間の居間や寝室の『寝間』なんてのは後ろに追いやられます。
 普通の乾いた屋敷でも陰気で暗いのに、この屋敷構造で建てられると、裏だけではなく脇も大体石垣でふさがれて居ますから、暗いしじめじめした所で暮らすことになります。
 布団を干すのが当たり前・・・ではなく、干さないと大変と言う家が多いのです。

 石垣に囲まれ、裏はすぐ山でみどりがたっぷり・・・玄関を出れば目の前は水田で・・・年中森林浴しているような感じで、早く起きれば朝もやに包まれて・・・
 都会の人から見れば、健康的で優雅なのんびりした田舎家なのですが・・・
 環境は良くても、住む家は・・・
 どの家も、あと一間前に出してくれれば住みよくなるのですけどねえ・・・
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カメラは

 レンズはカール・ツァイス・イエナ ゾナー135mm f4 東ドイツ

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-05-30 10:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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