LUZの熊野古道案内

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2009年 05月 29日

熊野の旅 石垣だらけの熊野

 紀州・熊野は海岸にも近い明るい国のイメージがありますが、ほとんどの部分は山です。
 荷阪峠を越えて『紀伊の国』に入ってから遠く和歌山に至るまでに、平らなところなんてほとんどありません。
 大きな川も急流の『熊野川』くらいしかないし。海が外海なので、扇状地や河口平野が出来なかったからです。
 何しろ波打ち際から険しい山まで1Kmも離れた場所が無いのですからね。

 平らなところが無い・・・
 家でも農地でも段々に作らなくてはならない・・・
 雨の回数、量共にものすごく多い・・・
 つまり、土塁のような構造では役に立たず。『石垣』で作る・・・
 と、言うことです。

 日本の田舎は山の中が多いですから、どこでも『石垣』が多いものです。
 紀州も北のはずれに行くと・・・???
 いや???
 向うの方が中心に近く、こちらが南のはずれなのでしょうね。
 『根來衆』と言う集団が居たようです。
 僧兵、武力集団、忍者などと変化して行ったようですが、石垣を積ませても天下一品だとか聞いたことがあります。
 泉州、浪速に近い分、色んなところに顔を出し勝ったり負けたりの集団で、同じような『雑賀衆』よりは生き延びた数は多いようです。

 そうした技術集団ではなくても、紀州の田舎の『石屋』の腕は確かなようです。
 一番目立っているのは紀和町の『丸山千枚田』でしょうね。
 あの、自然石を積み上げた石垣があるからこそ何百年も崩れもせず持ちこたえ、あの美しさも生み出しているのです。
 近代に積まれた見地石とコンクリートの石垣やコンクリート雍壁などのほうが早く崩れています。
 西洋でも15世紀16世紀とかに建てられた石の建物より、20世紀に建てたコンクリートの建物の方が早く傷むと言う例がありますからね。
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 熊野市も十数年前、まだ「世界遺産」なんてものが個々に出来るなんて思わなかった頃、観光キャッチフレーズに『神々と石垣の里』とか言うのを考えたことがありました。
 そのときに、コンサルタントが注目したのが、山間部、飛鳥・五郷の石垣だったのです。
 楊簿はもちろんですが、ほぼ平らなところに建てた家の周りにも、約束事のように石垣を積んであるのです。
 石垣島のように風をよけると言うほど高くも無し・・・門を構えて侵入を防ぐと言うのでも無し・・・建て込んでいて教会をはっきりさせると言うのでも無し・・・
 私などはその中で育ったので当たり前なのですが、何のための石垣なのやら・・・
 『習慣』なのでしょうね、
 『屋敷』=『石垣』なのかもしれません。
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カメラは

 レンズはカール・ツァイス・イエナ ゾナー135mm f4 東ドイツ

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-05-29 11:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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