LUZの熊野古道案内

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2009年 05月 23日

熊野の旅 もうすぐ半世紀 紀勢本線全通 5

 この紀勢本線全通で人の流れとものの流れに変化が生じました。
 これまで鉄道は『紀伊木本』で止まっていたので、熊野市一帯の人や物の流れは県庁所在地の「津」とか、その先の「名古屋」に向かわずに。「天王寺」「大阪」に向かっていました。
 道路の方も繋がってはいても、、海抜808mの『矢ノ川峠』を越える日本有数の難所を抱えていましたし、まだまだ未改修の一車線、砂利道でしたから物の移動、人の移動は『西向きの汽車』だったからです。
 まあ、開通したからと言って、その日から、そうしたものが代わるわけではありません。
 長年にわたって築き上げてきた、取引先との関係もあります。もともと、ここ熊野は「紀州藩」で言葉も食べ物も西を向いていますからね。
 大きな買い物も、大阪の方に出かけていましたね。
 『栄』よりは『心斎橋』って感じです。
 『きしめん』よりは『うどん』・・・『味噌カツ』よりは『まむし』だったのです。
 動物園も『東山動物園』よりは『天王寺動物園』の方が馴染みがあったものなのです。

 こうしたものも、鉄道が直結し、鉄路も新宮を境に「天王寺鉄道管理局」と「名古屋鉄道管理局」に区分され、さらには民営化で「西日本旅客鉄道」と「東海旅客鉄道」の別会社になって来るにつれ、連絡ダイヤもうまくないし、段々、流れが名古屋向きになりました。
 大阪に出る時も、新宮経由天王寺ではなく、松阪経由・近畿日本鉄道で大阪入り・・・と言うのが一般になるように変わって行きましたね。
 さらに、道路がよくなって自家用車の時代へ・・・自家用のない人は「特急バス」を使い時代へ・・・東京へは『夜行バス』の時代へ・・・と変わって行っています。

 全線開通以来、たしか一度も黒字になっていないはずの紀勢本線は、徹底的な人員削減で、ほぼ全線無人駅化しましたが、黒字には転じませんでしたね。
 それでも、鉄道は外してはいけないでしょうね。
 小さなローカル線は仕方ない面もありますが、いわゆる、『本線』はこれから先のエネルギーの変化に耐えるためにも本当は省エネのはずである、列車は国策で残すべきでしょう。

 などと言いつつ、私も『汽車』に乗らなくなりましたね。
 名古屋だ大阪だと言うようなところは自分の車を持ち込んだほうが便利だし、東京だと安い「夜行バス」を使いますしね。
 何年か前に『関空』まで往復、汽車に乗りましたけどね。

 『乗って残そう紀勢線』
 国鉄最後の頃の「廃線」議論の頃に掲げられていたキャッチフレーズも最近はトンと見かけません。
 状況はよくなったのではなく、悪化は続けているのですけどね。
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カメラはオリンパス35S

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-05-23 11:12 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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