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LUZの熊野古道案内

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2009年 05月 22日

熊野の旅 もうすぐ半世紀 紀勢本線全通 4

 紀勢本線は完成してわずか2ヶ月でずたずたになりました。
 新しい開通区間の地盤の不安定なんてものではありません。
 これこそ日本の歴史に残る『伊勢湾台風』の襲来が「9月26日」にあったからです。
 紀勢西線の南の端の『串本』から線路沿いに北上、新しい区間を見物し、紀勢東線を見ながら名古屋へ・・・

 この巨大台風でも大きな河川のない紀伊半島部分は鉄道被害は少なかったのです。
 それに、旧国鉄の保線区は職員数も多く、国鉄一家の結束も強かったですから、倒木の除去なども敏速に行われたので、すぐに復旧しました。
 多気以北に関しては鉄橋の流失などもあり仮橋ができるまで寸断されたままだったと思います。
 スフに復旧したとは言っても、沿線は鉄道用に引かれていた電話線の電柱などはほとんど倒され、平地部分の田畑は水をかぶった爪あとだらけ、家々の屋根はむき出し・・・ひどいものでした。
 今のようにブルー使途なんてものが無かったので、まさにむき出しの状態でした。

 伊勢平野に入り、相可口(多気)から参宮線で伊勢市駅に向かうと、被害状況はもっとひどかったです。
 雨も風も空前の大きさだった「伊勢湾台風」ではさえぎる山もない平野では風はずべてのものに襲い掛かって破戒していました。
 遠く離れた紀伊山地に降った雨も集めた川が平らになってしまった平野部でははける能力も無いので全部あふれて見渡す限りの水田が、すべて泥水をかぶっていたのです。
 惨憺たる光景とはあんなものでしょうね。

 なぜ、この記憶がはっきりしているか・・・
 私の生涯の友、『NIKON F』が発売された年で、発注していた『F』が伊勢の写真屋に着いてすぐに『伊勢湾台風』が来襲、受け取りに行けなくなり、汽車が動くまでの三日間待ったからです。
 待ちかねて、汽車に乗り、伊勢市に向かう沿線はそんな状態で、あっちにもこっちにも、あの青い服を着て戦闘帽をかぶった『保線区員』が働いていました。今のようなヘルメットでは無かったですからね。
 
 『紀勢線全通』、『伊勢湾台風』、『ニコンF』これが昭和34年(1959)の大きな出来事だったのです。
 そして、同じ学年に居た工事部門の国鉄マンの子供が転校して行きました。新鹿鉱区に居た人の子供さんでしたね。
 この同級生とは次の年、東京の予備校の夏期講習で偶然ばったり会いましたね。
 そうそう、この昭和34年には『修学旅行』もありました。
 首から「ニコンF」をぶら下げ、手首に「オリンパスS」を巻きつけたスタイルで出かけました。
 その都心の修学旅行は私などの運動で二手に割れたものになりました。
 元々は木本高校の修学旅行は「東京」でしたが、『
 どうせすぐに出なくてはならない東京に修学旅行で行くことはない・・・どうせなら「九州」に行かせろ・・・さもないと旅行には行かない・・・』と、アンケート調査までやったからです。
 半々に分かれて、半分は熊野市駅から「旧紀勢西線」で天王寺へ、半分は「旧紀勢東線」で名古屋へ・・・と言うものでした。
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カメラは

 レンズはカール・ツァイス・イエナ ゾナー135mm f4 東ドイツ

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-05-22 10:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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