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LUZの熊野古道案内

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2009年 05月 21日

熊野の旅 もうすぐ半世紀 紀勢本線全通 3

 紀勢線の全通と同時にジーゼル化されたのは、時代的に、ジーゼル機関車が本格的に実用化されたこともありますが、この紀勢本線は海岸線を走ることが多いのに、トンネルが多いからです。
 ここ木本から北は伊勢平野に入るまでずっとリアス式の海岸が続き、紀伊山地の山が海に落ち込んでゆく地形です。そこに鉄道を通せば、当然、トンネルが増えてしまいます。
 熊野市駅の新宮より、「有井駅」を出ると、すぐに二本のトンネルを抜けて「熊野市駅」に着きます。
 このトンネルが「大内山駅」までのトンネル区間の始まりなのです。
 50年前に開通した区間などは半分以上がトンネルの中なのです。
 こうした地形が紀勢線の東西を結ぶことを阻んできたのです。
 労力も戦争に取られ、トンネルを掘る爆薬があるくらいなら戦地に送らなければならない時代に続行できる工事ではありませんからね。
 こんな区間だけに、全通と同時にジーゼル化されたのです。

 もう一つ、この区間で採用された物に、『線路の溶接』があります。
 鉄道の線路は割合と短いものを金具を使って繋ぎ合わせて敷設してゆきます。
 だから、あの、『ガタンコー、ガタンコー』、『トトンーートトーーン』と言ったリズミカルな音が出るのです。
 その音もトンネルの中では反響してうるさいものです。
 さらに、継ぎ目であんな音がするほど車輪とレールと打ち付けあうのですから磨耗なども多くなります。
 しかし、鉄で出来た線路は隙間を空けないと冬の長さと真夏の長さが熱膨張で大きく変わり、場合によっては枕木を持ち上げて曲がると言われていました。
 しかし、熊野市駅ー尾鷲駅の間は長いトンネルが多いです。
 トンネルの中は年間を通して温度がさほど変わりません。
 と、言うことで、トンネルの中の線路を何本も溶接して継ぎ目を減らしました。
 だから、紀勢線が全通してこの区間に乗ると、ちょっと異様な感じがしたものです。
 ジーゼル機関車の耳障りな篭った音はするのですが、そのほかはやたらと静かなのです。
 今のように気密性の高い客車ではないのに、「シャーッ」と言う感じで走り、うんと間延びして「ゴトン」と継ぎ目の音がするのです。
 これも、実験区間的に施工したようですけどね。

 この線路の溶接は浜松の近くで東海道本線の直線区間でも使われました。
 それは、高速鉄道の実験用でした。
 リニア新幹線のように馬鹿金を掛けて実験線を作れないので、在来線の中でも直線区間が長い浜松が選ばれたのです。
 東京の中央線は長い直線を持っていますが、あんな電車区間では実験は出来ませんからね。
 ここはトンネルでもないのに異様に静かに列車が走りました。
 鉄道に慣れていた人間には『音も無く走る列車』は気味の悪いものでした。
 この実験区間でテストを繰り返して居たのが今の新幹線に繋がっていったのです。
 新幹線では枕木にがっちり取り付けて侵食を封じ込めたりして継ぎ目を減らしてありますね。
 紀勢線に関しては、開業当時より線路の継ぎ目が増えたように感じます。
 昭和34年当時に比べ、今の紀勢本線は線路も少し太いものに替えて貰い、枕木の間隔も少し詰めてもらっています、
 それによって、1時間ほどの時間短縮になっています。

 汽車は早くなったのですが、乗客は減る一方です。
 乗客が減って軽くなり、速度が上がるなんてことはこんな重い列車ではないのですけどねえ・・・

 そうそう・・・
 昨日の記事で間違いがあります。
 「クハ」は運転台付き車両ですね。普通はその車両にはモーターもついていますから「クモハ」になります。
 ジーゼルは気動車なので「キ」で始まります。
d0045383_10483194.jpg


カメラは

 レンズはカール・ツァイス・イエナ ゾナー135mm f4 東ドイツ

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-05-21 10:49 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by ピロリン at 2009-05-24 14:09 x
クは駆動台ということなんでしょうかね。以前、車両工場で昔のイ=一等車を見せてもらったことがあります。畳が敷かれて今の個室寝台車のようでした。今のグリーン車が実は二等=ロらしいですね。ワイドビュー南紀でも2号車がキロだったりします。
紀勢東線、もう少しだけ本数が多いと使いやすいんですけど・・・。松本峠くらいならバスも合わせればそこそこ本数があるので大泊から木本に戻れますが、それより東の峠越えではあてにするのが難しいです。戦争が無かったらトンネルも今よりは少なくて、もっと時間が掛かって、もっと廃止が現実的な状況だったでしょうか・・・。戦争で完成が遅れたから直線的なトンネルやロングレールが導入されて、新しい車両も性能を発揮できてたけれど、紀勢西線と同じ頃に完成していたら、名古屋や松坂からはもっと遠かったかもしれません・・・。
Commented by je2luz at 2009-05-25 20:35
ピロリン さんへ
 ***
 子供の頃に機関車の動輪数のABCDとか、箇所の大きさのム・ラ・サ・キだとか無蓋車のト(トラック)とか有蓋車のワ(ワゴン)とかを覚えたのですが、半世紀も経つと細かいことは忘れてしまいましたね。

 紀勢西線は昔の偉い議員さんたちが地元の要求で各集落を通るように曲げたのであんな風なのだそうです。御坊の周辺なんかはひどかったですからね。


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