LUZの熊野古道案内

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2009年 05月 13日

熊野の旅 礎石

 今の家は、コンクリートの布基礎の上に立っています。
 建物はコンクリートの上にボルトできっちり留められて立っています。
 昔の家は、柱の下に石を置きその上に載っています。取り立てて固定はしていません。
 柱の数だけ石が並んでいます。
 奈良の遺跡などで出土してきて建物の大きさや構造、間取りが分かるのは基礎の石・礎石の数で柱の数、位置で柱の配置、大きさで柱の太さやかかる加重などが分かるからです。
 縁側などで見える部分などには加工された切り石のものが使われたりしますが、基本的には平らな自然石、河原で拾ってきた石が多く使われています。
 この礎石の据え方なども時代によって変化してきています。
 当然、地域によって使われる石の質や形が変わります。
 大きな川があるところでは、角の取れた丸みのある石が使われるし、山間ではごつごつした石になります。
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 写真の礎石は割合と新しい建物のものでしょう。
 床下が全部セメントで埋め尽くされています。
 日本の場合はセメントが使われたのが明治以降になりますから、新しいと言うことです。
 更に、お金持ちだった証拠は、きちんとした切石の礎石が使われていることです。

 この礎石は「紀南ツアーデザインセンター」・・・『旧奥川邸』に残されたものです。
 見学に行くと。土間の脇の明り取りのガラス戸の外に並んでいます。
 おそらく、『蔵』だったものと思われます。
 この建物があると、その明り取りは全く役立たずになります。
 しかし、もともと日本の旧家の建物は、「暗いほうが良い」とばかりに暗いものです。
 そもそも、奥川邸の明り取り自体が不自然ですからね。
 改造されたのかもしれません。
d0045383_1058242.jpg

 この奥川家は、木本随一の富豪でもあったようです。
 木本町の色んな事業に協力されてきただけではなく、伊賀上野のお城再建の用材を寄付したりするほどの方だったようです。
 今の林業や材木商、網元などでは考えも及ばないほどの財力があったようです。
 しかし・・・
 この辺のお屋敷とは小さなものです。
 この『旧奥川低』も、よその町に行けば、旧家の分家の分家・・・旧家の別邸・・・程度の規模でしかありません。
 これが南紀の風習なのでしょうね。

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-05-13 11:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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