人気ブログランキング |

LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2009年 05月 10日

熊野の旅 手造り感のある近代化 木本上水道2

 明治。大正・昭和と明治維新以来、日本は一気に近代化を図りました。
 木と紙と石と漆喰でほとんどの建造物を作ってきた古来からの手法に、セメントとレンガと鉄が加わって、それを使うことが近代化であるということで多用されていました。
 見よう見まねの様なレンガ造りが流行った明治期から少しずつ使いこなしたというか、自分達流にデザインを変えて溶け込んでいったのですが、やはり、時代ごとに「はやり」があるので、何となく時代を感じることが出来るものです。
 「はいから」から「モダン・モダーン」へという風にそうしたものの呼び方も変わって行ったようですね。
 この『木本上水道』などは、町の近代化のシンボルです。
 今作ると、ものすごく機能美を表に出すか、意味も無く変な装飾物を付け加えるかするところですね。
 機能美は良いにしても、へんてこなオブジェに大金を投じるおかしな風潮が公共物にはありますからね。

 昭和10年11年という日本帝国が元気だった時期、しかし、富国強兵のたどり着いた軍国主義がはびこり火を噴く寸前の時代に作られた建造物です。
 当時としては大事業だったと思われます。
 第一、コンクリートも今のように生コンプラントからミキサー車でピストン輸送というわけではなく、現場練りで打ち上げていったものだと思います。
 いまでも、4トン車がまともに入れない道路の行き止まり部分、更に階段で上るところに巨大なコンクリート製のプールを築き上げたのです。
 砂利も砂もセメントもおそらく牛車と人力で運び上げたものと思われます。
 当時は資材に比べ人件費が安かったわけですが、まさに人海戦術だったのでしょう。
d0045383_11171926.jpg

d0045383_11215088.jpg

 補修点検に使う通路の手すり部分などには、職人さん手造りの手すりが施されていたりします。
 そして、階段も無理やり斜面を加工して直角に設置するのではなく、少し斜面に沿わせた角度で作られています。
 無理に山を加工するよりこの方が丈夫なのかもしれません。
 まだまだこの時代では、人間の土木技術が自然を押しつぶせるなんて過信は生まれていなかったようです。
 水も、「吸い上げればよい」「川はせき止めればよい」という不遜な考えではなかったようです。
 まあ、今なら憲法上の問題も生じかねないのですが、この敷地内には小さな祠が祭られています。
 この浄水場が現役だった時代には厳重管理され立ち入り禁止だったわけですから、職員さんが管理してきたものと思われます。
 何を祀ったのか・・・
 「龍神さん」?「山ノ神」?・・・
 調べてもいませんが、今でも祀られています。
d0045383_11313491.jpg

 祠の大きさと基台の大きさが釣り合いませんね。
 おそらく、当初祀られた時の祠はもう少し大きかったものと思われます。
 高校時代に忍び込んだことのある場所ですが、この祠は全く記憶にありません。
 作られてから25年ほどの時期ですから、まだ最初の祠があった頃だと思うのですがね。

 このように、手造り感があり、人間臭さも残っている昭和初期の建造物です。
 しかし・・・
 立ち入り禁止で、人を寄せ付けないようにして守られてきた「上水道水源」ですから、バリバリ現役の時でもこの場所を知らない人ばかりでした。
 たまたま、祖父がこの当時の町政に関わり、その話を聞いたことがあり、自分自身は余りよろしくない学生だったのでここに忍び込んで弁当を食べたりした経験があるので、親しみがあるだけなんです。
 家と学校の間しか知らずに育った子供よりは、ガキ大将とかよからぬ学生の方が少し見聞が広いようです。

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-05-10 11:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/9706948
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 三重県にお住まいの方...      熊野の旅 町の遺産では? 木本上水道 >>