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LUZの熊野古道案内

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2009年 04月 15日

熊野の旅 街中の川 西郷川 3 木本上水道

 木本にとってこの『西郷川・にしごがわ』はここに人が住み始めた頃からお世話になった川です。
 この川に水を当てにして人が住み付き、きれいな水を確保するために、この川のそばに井戸を掘り・・・そしてそこを『親井戸・おやいど』と呼びました。今の『親地町・おやぢまち』です。
 どう言う訳か『おやいど』と言う呼び方を地元の住民の人たちが嫌って、いまではその呼び方をすることはほとんどなくなりました。

 『西郷川』の上流、民家の切れたところに『木本浄水場』があります。
 今では浄化給水を止めていますが、まだ、沈殿池などが残されています。
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 この浄水場は昭和11年11月に完成、給水を開始したものです。
 江戸時代から気の筒を使って山水を町に供給したり、明治に入ると土管を使った水道を建設したり・・・と、飲み水に苦労してきた木本は、まだ全国の上水道普及率が31.5%と言う時代に完全な上水道開設に踏み切ったのです。

 『西郷川』の表流水をほぼ全部引き込み、沈殿・ろ過・滅菌して送り出しました。
 給水は本管が鋳鉄管、引き込み配管は鉛管です。
 加圧は自然流下方式をとっています。この川が急斜面を流下しているので町のすぐそばでも落差を稼げたからです。

 計画書では給水範囲を『木本町および有井村一円とし、その推定人口11.100人とす』とあります。
 しかし、実際の給水は旧木本町の範囲と有井村では松原地区だけになっています。
 この当初計画では、今のようにふんだんに水を垂れ流す生活様式は想定されていません。
 給水計画でも一人当たり3立方尺・83.4リットルになっています。
 人口予測は時代の趨勢からして当然増加を見込んでいます。
 二十年後・・・昭和30年ごろに13.523人としています。
 今流の計画書とは違い、カタカナ書きで表やグラフは使われていないもので非常に読みにくいです。
 原本は毛筆書き、旧漢字の達筆のものでしょうから私では読めないかもしれません。

 木本町内にはいまだに『鉛管』による。敷地内配管が生き残っている家があるはずです。
 我が家の本家も専念取り壊すまで一部は鉛管のままでした。
 いまでは『鉛』は有毒重金属ですから『鉛管』の水道は許されないのですけど、家を壊さないと取替え用の無いものですし、鉛管は曲げなどにも強いので70年の時を越えても生き残っているようです。
 はたして今の塩ビ配管はどこまで持つのでしょうね。
 水道の配管工を『鉛管工』と呼んだ言葉も死語になったのでしょうね。

 こそ写真を一枚撮ったところでフィルムがなくなったので、又、後日撮り直した時に続き、余談を書きます。
 熊野市水道部の作った50年記念誌が手元にあり、こんなものの中には興味を引く部分もあります。
 消えてしまう歴史の部分ですけどね。

カメラはフジGS645S

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-15 10:46 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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