LUZの熊野古道案内

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2009年 04月 10日

熊野の旅 大又川 くらもと 2

 この『くらもと』の名前の由来は、この淵のすぐ上に『くらもと』と言う苗字のいえがあったそうです。
 私が子供だったころには、もう、よそへ出て行ってしまってましたね。

 今と違い、もう少し寂しかった淵なので、河童伝説が生まれたのでしょうね。
 ここのかっばは、『がろぼし』と呼ばれていました。
 『ぼし』はおそらく『法師』でしょうね。
 頭の『がろ』に当たるようなものには下の二つの妖怪が居ます。
 「餓老」・・・こいつは山の中で行き倒れになった人が化けた妖怪らしいのでちょいと違いそうです。
 「河朗」・・・こては川にまつわる妖怪で、「水虎」とも言われて、人を襲う悪いやつのようです、「ゲゲゲの鬼太郎」にも出てくるやつです。
 『くらもとのがろぼし』も通りかかった牛を河に引きずり込んだり、遊んでいる子供を襲ったりしたそうですから、こいつの可能性が大きいですね。
 よそでは、子供と相撲をとったりする河童も居るようですが、ここのはかわいくなかったようです。
 怖い妖怪話が流行ったのは江戸時代ですから、その頃に名前も少しなまりながらも付けられたのでしょうね。
 と、言うより・・・長年の間に段々と訛って行ったと考える方が自然でしょうね。
 こうした、怪談話や幽霊がなんてのも『伊勢街道』今の『熊野古道』を通る旅人によってもたらされたのでしょうね。
 乞食同然の「講釈師」なんてのも全国を歩いたとか言いますしね。

 この『がろぼし』のおかしいところは、「河童と言えばキュウリが好物」と、相場は決まっているのに、偉い坊さんに説教された時に、『平部落でキュウリを作らなんだら悪さをやめる』と言ったのだそうです。
 『きゅうりを一杯供えてくれたら・・・』ではないのが面白いです。
 で・・・昭和50年ごろまでは『平・だいら)』では、キュウリは栽培しませんでした。
 作りたい人は、隣の集落に農地を借りて作っていました。
 キュウリを持ってくらもとの丸木橋を渡っても『がろぼし』は襲ってきませんでしたからね。

 今では、その河童を供養して封じてしまったので、キュウリは作れます。
 昭和50年ごろに法要をやって封じたのですから、昭和にも偉い坊さんがいたということです。
 きっかけは『農協』が『種用きゅうり』の栽培をやりたかったからです。
 時の組合長が『平』の人で、自分の農地を提供しようにも『キュウリの栽培できない土地』では、どうしようもないですからね。
 よく考えると、そこの家は「天理教」なのに、封じたのは「日蓮宗のお上人さん」でしたね。
 祈祷したりするのは、密教系の方が得意ですけどね。

 封じる前から、この「くらもと」は小阪小学校の水泳場としてずっと親しまれてきましたし、浅見川橋が出来てからは木本方面からも子供連れの川遊びの人が訪れるようにjなりました。
 市営の公衆トイレも川岸に出来て、水道も自由に使えるので、いまではバーベキューをしに来る人も多いです。
 もちろん、キュウリのサラダを食べても『がろぼし』は出てきませんからご安心を・・・
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カメラはオリンパス・ワイド

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-10 10:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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