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LUZの熊野古道案内

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2009年 04月 09日

熊野の旅 大又川 くらもと 1

 ずっと以前にも書いたことがありますが、熊野市の山間部を流れる『大又川』には『河童伝説』があります。
 地元の「小阪小学校」の指定水泳場にもなっている、少し大きな淵のところ、『蔵本』と言われる場所に、住んでいたのだそうです。
 今ではちっとも寂しげでも不気味でもない明るい場所になっていますが、その昔は寂しい場所だったのでしょうね。
 今みたいに、すぐ上を国道が走り、すぐ下流に大きな橋が掛かったのでは、河童など隠れて住むには明るで賑やかすぎます。

 私が子供のころに、淵のすぐ下流に掛かっていたのは、材木を二本合わせただけの『丸木橋』でした。
 川の中に作った小さなコンクリート製の台の上に二本合わせの木の橋が載っているだけです。
 長い杉の木の橋が縦方向には三本つながっていたのかと思います。
 継ぎ目は「八橋」の絵のようになっていたので、ちょいと乗り換えるという感じでしたね。
 1尺5寸ほどあるかないかの橋ですから、誰かが渡っていたら渡り終わるまで待っていたものです。
 何人も一緒に渡ると、橋が大きく揺れます。
 下手に共鳴始めると歩けなくなるほどでしたね。
 子供はそれがうれしくて、「上で跳ね回って叱られました。
 悪ふざけが過ぎると、本人も川に転がり落ちてずぶぬれになるのですが、橋の丸太も落っこちてしまいますからね。
 こいつを元の台に載せるのは、山働きの力持ちが何人も掛からないと出来ません。
 川が増水すると、通常の水面から1.5mほどしか離れていない、丸木橋は流されてしまいます。
 流されても、川下まで流れてしまわないように、ワイヤーで岸にくくりつけてありました。
 しかし、たまに、そのワイヤーも切られて本当に流失してしまうことがありました。
 そうなると、その力持ちの人たちが、川下へ探しに行きます。蛇行している大又川では、大体決まったな所に引っかかることになっていましたが、時には随分下流まで探しに行ったり、最後のは諦めたりしたようです。
 見つけても、道も無いごろ石の川を、その丸木橋を担いでくるのですから、重労働ですね。
 早くかけなおさないとうんと遠回りしないといけなくなりますしね。
 水の量が減り始めて台がようやく顔を見せ始めるタイミングで載せると、丸木橋は水に浮いていますからあまり持ち上げなくても載せられるのです。でも、そのときは流れが速いのでコントロールが難しいし・・・
 今だったら、一度流されたらしばらくは復旧しないでしょうね。
 この橋を『蔵本の橋』と呼んでいました。
 その丸木橋が、昭和30年代の終わりごろに、車も渡れるつり橋に変わりました。
 それが老朽化して、昭和40年代の終わりごろコンクリート橋に変わったのですが、最後の頃は、車で走ると板が割れて落ちてしまうので、速く走っていいのやら、徐行していいのやら・・・
 
 市が橋を架けるようになると、『くらもとの橋』では具合が悪いので、片側の地名を使って、『浅見川橋』と命名されました。
 車の対向できる立派な橋になっています。
d0045383_11361553.jpg

カメラはオリンパス・ワイド

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-09 11:38 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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