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LUZの熊野古道案内

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2009年 04月 01日

熊野の旅 JRさわやかウォーキング 3 いざ木本へ

 一段と足が軽くなった人たちが向かうのが、大昔の海賊の本拠地。『鬼の元浦』『木本』です。
 大将軍で日本中の悪いやつを退治した『坂上田村麻呂』にやっつけられた『多娥丸』(たがまる)の本拠地です。
 平安から江戸時代までの木本は手前の方の親地町(おやぢまち)周辺が漁師町として開けていただけで、こんなに大きな町並みではなかったはずですが、山越え山越えで人里もほとんどないところを歩いた人にはこの木本の人里は暖かく見えたと思います。
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 この橋『笛吹き橋』を渡ると、『親地町』です。
 木本発祥の地で『親井戸』とも呼ばれます。
 熊野灘の荒波が新宮にある熊野川の河口から出た石ころを磨き上げながら運んで積み上げた『七里御浜』の上にある木本の海岸沿いは砂利の上にあります。
 今ならボーリングででも井戸をほれますが、手掘り、石積みの井戸はほれません。
 無理して掘っても海の荒れる日には塩水が逆流します。
 だから、木本はこの橋の下を流れる『西郷川』(にしごうがわ)の水と伏流水を当てにして、ここから始まったのです。
 今では漁師の人は少なくなってしまいましたが、昭和40年ごろまでは本当に「漁師町」と言うところでした。
 真っ黒に日焼けした、おじやん・おばやん・にーちゃんが一杯居たのですが、今ではほんの一握りのじーちゃん・ばーちゃんが昔焼いた赤銅色の顔をしているだけです。
 船の数も本当の漁船は3杯くらいしかないのではないでしょうか?
 私が子供のころには実に沢山の船が『脇の浜』に浮かび、浜にも沢山の船が揚げられていた物です。
 いかにも、漁師町と言う風情が浜にもあったのですがねえ・・・
 いまでは、軒の低い家がぎっしりと立ち並んだ、古びた町並みが残るだけです。
 でも、その町並みが『熊野古道』の続きのような雰囲気を保ってくれています。
 でも、この狭い道を埋め尽くすほど居た子供たちはもう居ませんね。
 昭和20年代30年代なら、日曜日などは歩きにくいほど居たはずなのですがねえ・・・

 下の写真は、昭和35年(1960)頃の風景です。
 これより多い数の船が親地町にはあったのですから、漁師が町にあふれていたわけです。
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 カメラはニコマートEL+シグマ21~35ズーム

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-01 11:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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