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LUZの熊野古道案内

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2009年 03月 18日

熊野の旅 紀勢本線はローカル線?

 国鉄の路線には『東海道本線』『山陽本線』などと呼ばれる、基幹路線で『本線』の付くものと、それの付かない『紀勢西線』『紀勢東線』などと呼ばれるものがありました。
 国道も一級国道、二級国道に区別されたようなもので、国全体での重要性が基準だったのでしょうね。
 紀勢線も東西に分かれていたときには『本線』が付かなかったのですが、全通してからはこれの付く、『紀勢本線』と言う立派な長い路線になりました。
 ただ・・・
 この路線は東は『亀山』に始まり、西は『和歌山市』で終わるものです。
 名古屋ー大阪天王寺ではないのです。
 天王寺から和歌山までは『阪和線』。名古屋から亀山までは『関西線』に列車は乗り入れます。
 国道で言えば『併用区間』みたいなものです。
 時刻表も、今のように路線だけ取り出したものは簡単ですが、交通公社の大きな時刻表などでは非常に見づらい路線になります。
 本線なのに本線らしくないものですね。

 そもそも、名古屋や亀山から大阪に向かうのなら、その当時でも『関西本線』を使えば奈良経由でまっすぐ行けます。終点が『湊町駅』というちょいとマイナーなものだと言うだけです。
 つまり、列車を使って西から東まで乗る人は居ないということです。
 だいたい、全通時から通しで走る列車はありませんでしたね。
 つまり、区間区間で乗客の変わるローカル線の寄せ集め見たいな物なのでしょう。
d0045383_10393074.jpg

 これはおとといの紀伊市木駅の光景です。
 中学生くらいの男の子が新宮行きの各駅停車に乗って行くところです。
 列車も2両編成、それも車両が寄せ集め・・・
 当然、ワンマン運転です。
 でも、この昼過ぎの各駅停車にはぽつぽつ乗客が乗っていました。
d0045383_10432113.jpg

 かつては、沿線にももうすこし人が住んでいましたし、人々も若く、ほんの少しだけ経済も活発でしたから、新宮ー木本の間の人の動きは活発でした。
 列車も4両くらいでしたし、併走する国道には15分に一本、三重交通と熊野交通のバスが走っていました。
 道は砂利道でも今よりは便利だったのです。

カメラはオリンパス・ワイド
 昭和30年くれに発売されたカメラです。
 つまり、このあたりがまだ『紀勢西線』だった頃のものです。
 その当時の各駅停車は『紀伊木本』発『串本』行き・・・と言うものが多かったのです。
 これも、木本ー新宮と新宮ー串本の二つのローカル線をまとめた列車でしたね。
 でも、何となく、『串本』が近く感じたものです。

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-03-18 10:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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