LUZの熊野古道案内

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2009年 03月 08日

熊野の旅 青岸渡寺 仏教伝来は?

 那智山の『青岸渡寺』(せいがんとじ)の由来と、私が習った日本史の間には随分ずれがあります。
 『仏教は午後にやってくる』・・・つまり、仏教伝来は552年と覚えたものです。
 もっとも、これには色んな異論があったのですが、『青岸渡寺』のいわれとは200年ほどのズレですから大きいです。

 そもそも、このお寺の縁起は・・・
 4世紀・300年代に黒潮に流されて流れ着いたインドの坊さん『裸形上人』が那智の滝に打たれて千日の修行し、『観音様』を授かったのだそうです。
 この授かった『観音様』をお祭りしてお堂を建てたのが『青岸渡寺』の始まりだそうです。
 
 552年以前にも仏教徒だとかが日本にやってきたことはあるでしょう。その中には坊さんも居たかもしれません。
 日本人の中には、それに帰依して信者になったのも居たかもしれません。
 朝廷、中央政府関係に合えたのが552年ごろなのでしょうね。
 でも、日本の歴史が定まった頃にはすでに熊野信仰が始まったようですし、その信仰が『神社』であったにしても、その場所に金ぴかの仏像まであるお堂があったのなら、仏教の存在が記されていてもおかしくないですよね。
 なにしろ、『裸形上人』と言う名前まで残されているのですからね。

 流れ着いたのがインド人ではなく東南アジアの人だとしても、その仏教は『小乗仏教』の系列だったのかもしれません。

 それにしても、仏像ってえのは、結構粗末に扱われたのでしょうね。
 ここの観音様は滝壺におっちていたそうですし、善光寺の観音様も落っこちていたし、海の中から漁師の網にかかって上がってきたのもあるようですし・・・
 そうしておいたほうが、『都で買ってきた』とか言うより有難みが出るからかもしれませんがね。
 『観音信仰』が広く行き渡っていたからかもしれませんが、そんなのって『観音様』が多いですね。
 その、『落っこちていた仏像』を見つけて祀った人のことは『いい人』として伝わっていますが、捨てた人の伝説・・・『罰が当たった言い伝え』は聞かないですね。
 やっぱり仏様たちは御心が広いので、そんなことでは『罰』は与えないのでしょう。

 と、言うことで、仏教伝来より200年も前から那智のお山では『観音様』が祀られていました。
 科学的に製造時期を追及するなんて罰当たりなことをやっちゃあいけませんよね。
 極楽浄土に近い那智のお山ですから、ただひたすらに、『観世音菩薩のご加護』に期待をかけてお祈りしてください。

 写真は『青岸渡寺』ではなく『那智大社』の方です。
 この左手前方に『那智の滝』があります。
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 カメラはニコンF+28mm3.5? コダクローム

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-03-08 12:04 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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