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LUZの熊野古道案内

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2009年 02月 21日

熊野の旅 紀伊半島改造計画

 先日来、ここに掲載している写真を撮っているドイツ製・ウェルタ・ペルレと言う蛇腹カメラは1930年代に作られたもので、この機体は37年か38年のもののようです。

 戦前のこのころは、日本の近代化が加速した時代です。
 日本中に自動車の走れる道路が作られ、輸送の大動脈としての鉄道がどんどん開通し、どんどん新路線が計画された時代です。
 今の、『紀勢本線』もこのころに原型が出来上がって行ったのです。
 そして、以前にも触れたことのある、新宮ー奈良五条の間を結ぶ『五新鉄道』が決定したものこの時期です。
 いまの国道168号線沿いに、紀伊半島を南北に貫こうと言うものです。
 吉野から紀州へ掛けての森林資源を搬出すると言う大義名分があったようです。

 『五新鉄道』は一部着工され、戦後も早期完成運動だとか、近鉄に身売り話だとか色んな話題を呼んだものです。
 しかし、地元でもすっかり忘れられた鉄道新線がもう一本あったのです。
 木本町から今の国道169号線と同じルートで吉野に抜けようと言う、『吉木線』です。
 昭和10年(1935)には鉄道省において実地調査を行っています。
 先に計画されていた『五新線』は建設が決定されましたが、昭和の大恐慌などで着工が延び、着工したら戦争激化で中止と言う受難な路線で結局はほんの一部を工事しただけで廃線になりました。
 『吉木線』は測量までも行かずに立ち消えになったのでしょう。
 このほかにも吉野から伊勢に抜けようと言うので吉野口から相可口(おうかぐち)・現多気を結ぶ『吉相線』と言うのも計画されたようです。
 これらはすべて、吉野から紀州の森林資源の活用を視野に入れていたようです。
 いくら鉄道時代でも、旅客輸送という面ではそうは見込めない場所ですからね。

 道路網も大正から昭和のこの時期に骨格が出来たようです。
 そして、紀伊半島も今の『熊野古道』から脱却して近代化する大計画が立てられ、改造に着手したようです。
 しかし、需要の見込めない鉄道は『紀勢本線』の全通も戦後15年経ってからでした。
 国道は旧規格の42号線169号線168号線は何とかつながりましたが、改修されて大型車が通れるようになったのは二桁国道の42号線でも昭和45年(1970)ごろです。311号線に及んではつながったのは平成の御世、21世紀になってからです。
 でも・・・
 『五新線』『吉木線』が出来ていても、今頃は廃線になって巨費の無駄遣いだったでしょうね。
 国鉄合理化、廃線化が進んでいるころにも『五新鉄道建設促進同盟』なんて看板が立っていたものです。
 同じころに『乗って残そう紀勢線』なんて運動もありましたしね。
 幹線の『紀勢本線』の廃線が取りざたされるようになっても、新線建設運動があるなんて不思議なものです。運動した人も乗らないはずの路線でもねえ・・・

 かくして、紀伊半島改造計画は80年の時を経ても姿を見せませんでした。
 姿を見せなくて良かったのかもしれません。
 秘境が秘境で居られますからね。
d0045383_11161090.jpg


 このHPには五新線や吉木線の経緯が載っています。
    http://www.shin-yas.com/goshin-hist.html

 カメラはウェルタ・ペルレ・テッサー75mmf2.8

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-02-21 11:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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