LUZの熊野古道案内

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2009年 02月 19日

熊野の旅 持統天皇のころ

 天武、天智とくれば当然持統天皇も出てこなくては・・・
 とはいえ、この持統天皇は正式の天皇・女帝ではないと言う説もありますね。

 そんなことはどうでも良いのですが、驚いたことにこの持統天皇がこちらにやってきたという記述が「日本書紀」にあるようです。
 持統6年(692)に阿胡師の行宮に行幸と書いてあるそうで、これは熊野市の甫母町らしいですね。
 二木島の神武天皇の伝説と関連があるのでしょうかね。
 それ以外には二木島だ甫母なんてところに天皇がやってくるはずもないですね。
 今でも、ガイドブックには乗っていても観光客は足を向けないところです。歴史に出てくるのは遭難船が流れ着いたときと相場が決まっているあたりですからね。
 天皇の行幸と言うことで、このときに地元の豪族?がご馳走を献上したようです。
 5月6日だそうですから、今の4月です。 サンマのシーズンは終わっていますが、ワラビ、たけのこも出したのでしょうね。
 持統天皇はこの9年後に牟婁の温泉に来ているようです。
 年号も「大宝」に変わった年です。
 例の『大宝律令』の出来たときで、この法治国家を作るのにこの女帝が尽力したらしいです。
 天武天皇の后と言うファーストレディから天皇に・・・ヒラリーが出来なかったコースですね。
 中々の切れ者、女傑だったようです。
 しかし、旅行好きなおばさんでもあったのでしょうか・・・

 このすぐ後が『和銅』です。
 今では違うのではないかと言われる、日本最古の鋳造貨幣『和同開珎』の作られた時代ですね。
 そして、『古事記』もこのときに出来ています。
 古事記の編纂にも持統天皇はかかわっていると言うことでしょう。
 結構、色んな動きのあった時代の女帝ですが、下々の方は相変わらず災難に見舞われっぱなしだったようです。
 地震だ台風だ疫病だ・・・ついでに諸国に『蝗』が大発生したり・・・
 まあ、古代には珍しいことではなかったようですけどね。
 そして、この時代でもこうした時に災害救助法のように薬が下げ渡されたりしたようです。
 牟婁の地は歴代天皇の行幸の多い土地ですから、ど田舎の割りに中央に手を入れてもらいよかったかもしれませんね。
 近代では昭和天皇が鬼ヶ城に来られたことは覚えていますが・・・今上陛下も皇太子のころに来られたのかな?
 総理大臣は『伊勢神宮』には参拝してもこの南紀には下りてきませんね。
 交通が不便だった昔の方が熊野の地、牟婁の地は中央に近かったようです。

 でも、古い記述に残るのは行幸と災難が多いようで・・・
 いまでも、新聞に記事が出るのは、災害と事件・・・『熊野古道』などはもう忘れられかけたのでほとんどでないですしね。
 それなら、新聞などには出ない方が良いですね。
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 持統天皇が今の人なら、お召し列車でこの『二木島駅』に降り立たれるのでしょうね。
 トンネルとトンネルの間のちょこっと明るい場所にある小さな駅ですから、特急で旅する人には気づかれることも無いかも知れません。

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-02-19 12:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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