LUZの熊野古道案内

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2009年 02月 18日

熊野の旅 天智 天武 平穏じゃなかった

 万葉集などでは同じ女に恋をして口説きっこした唄をも越したり・・・血なまぐさくもありロマンティックな時代とされた天智・天武の御世の熊野はどうも平穏ではなかったようです。
 その前の大化の時代に熊野への道が作られ、熊野信仰と牟婁後の温泉に注目が集まりかけたのですがね。

 天智2年(663)には・・・
 『野山大雪降る。積もること7尺あまり』などとあります。
 場所は定かではありませんが、『熊野年代記』ですから東西南北、牟婁の地内の話でしょう。
 雪深い奥吉野ではないのですから、これでは家屋の倒壊もあったのではないでしょうか?
 
 天武4年(675)には・・・
 『風雨で宝殿破れ、民家悉く破れ、大杉回廊を崩す。浜の王子流れる。稲流れる。』とあります。
 どうやら潮岬上陸の台風直撃を受けたようです。

 天武5年(676)ぬは・・・
 『夏大旱、五穀実らず民餓える』 と、打って変わって水不足です。

 天智14年(685)は・・・
 『地震、熊野浦々に津浪入る。山崩れ、諸国の官舎、百姓倉屋、寺・神社壊れてその数を知らず。人畜多く死ぬ。土佐の国の田海中に没す。』 とあります。
 今度は南海。東南海地震が襲ったようです。

 政治が悪いと災害疫病が襲う・・・などと言われ、天皇が交代したり、年号だけいじってみたりした時代です。
 都の方の様子はどうだったのでしょうね。
 政権争いに女の取りっこ・・・まさに天皇家が骨肉の争いを繰り返していた時代なのでこんな災難が・・・
 しかし、神々のおわしまします地、熊野がこんなにいじめられるとはねえ。

 まあ、こんなのは施政者の天武天皇、天智天皇の責任ではないでしょう。
 これがトップの責任なら、今の日本など毎年どころか毎月くらい災難に見舞われるでしょう。
 年号なんてどんどん変えなくてはならないので、官房長官がテレビで色紙を持って発表するシーンが何度も見られるはずです。
 下々の民の信心が足りなかったのでしょうね。
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 カメラはウェルタ・ペルレ・テッサー75mmf2.8

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-02-18 11:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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