LUZの熊野古道案内

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2009年 02月 11日

熊野の旅 もうすぐ始まる時期なのに・・・

 熊野のサンマ漁は11月ごろからはじまり、魚群がすっかり姿を消す春まで行われます。
 何しろ、脂がなくなっておいしくなくなったほうがうれしいという熊野のサンマ漁ですから獲れさえすれば続きます・
 熊野名物の『サンマの丸干し』はサンマが獲れる間中続けられたものです。
 そして、春になるとそれも姿を消したものなのですが、今では獲れ獲れを冷凍し、それを解凍し人工乾燥するので年中行われます。
 さらに、今の時期に干した『天日干し』のものも急速冷凍して保存しますから、年中『サンマの丸干し』が流通しています。
 名物ですから、あるとき・・・ないとき・・・では困るのですけどね。
 
 サンマ漁が終わるころになると始まるのが『地引網漁』です。
 『いわし』が少し大きくなってきて岸辺を回遊する時期に盛んに引かれたものです。
 木本海岸でも二統の地引が引かれました。
 このすぐ前の浜でも引かれたのでよく見物したものです。
 シーズンになると、浜には『和船』が用意され、『ロクロ』などの道具も用意されていましたね。
 娘が小学生の高学年のときの写真にその和船をバックにしたものがあります。
 つまり、その時期にはまだ少しは引かれていたのでしょうね。
 この二統の地引の漁業権は海岸侵食対策の潜堤工事のために買収されて消滅しています。
 少し南の『口有馬』の地引は「観光地引」として存続していますが、肝心の観光客の依頼がないのでほとんど見かけませんね。
 このように、『七里御浜』には集落ごとに地引があったのです。

 昔は春先から浜に出tると、長い棒を取り付けた二基の『ロクロ』に女の人がたくさん取り付いてまわしていました。
 長いロープの先に大きな網が付いているので結構重いので「ろくろ」を使っていたのです。
 掛け声をかけながら同じ場所をぐるぐる回るのです。
 普通に歩くのもしんどい浜で、長い時間同じところを回る仕事ですから大変なものだったでしょうね。
 だから、猟師町のお上さんたちは日焼けして真っ黒だったのです。
 そのころは「おかみさん」「おばさん」ではなく『おばやん』と呼んでいましたけどね。
 この作業を少し手伝うと魚を分けても会えました。
 それを目的に浜筋のおばやん連中も手伝っていましたね。
 用意周到に「バケツ」を持参していましたね。
 私などは手伝いもしないでボーッと立っていただけで、『兄ちゃんもいるか?』と、もらって帰ったこともあります。
 のんびりした時代の話ですね。

 この地引の光景も今ではよほど運が良くないと見られませんね。
 春霞のたなびく松原の先の浜で、轆轤を回す女たち・・・
 絵になる光景なのですが・・・
 その松原から松が消え、浜からは地引も岡に上げた和船も消えました。
 浜に賑わいはもう復活はしないのでしょうね。
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 カメラは ウェルタ・ペルレ

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-02-11 12:53 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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