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LUZの熊野古道案内

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2009年 01月 25日

熊野の旅 手作り玩具 3

 昭和の生まれでも物がふんだんに出回るまでに育った年代と後半のように何でも既製品がある年代では随分違いがありますね。
 後半の子供は、本当に小さい頃は何でもオモチャに出来るし、積み木が飛行機になったり自動車になったりしますが、少し大きくなると、飛行機には羽根が生えていなくてはならないし、自動車には車輪が必要になります。
 私たちの世代は、羽根が生えている飛行機を与えられることはありませんし、自動車の形をしたおもちゃなんてあまりお目にかかりませんでした。
 木切れを結核予防のマークのように打ち付けてあればものすごく立派な飛行機でした。
 同じものが『ゼロ戦』になったり『B29』になったり・・・
 私の年くらいだと、『B29』が出てきたのです。もう少し上だと『B29』は敵国の物でしたからね。
 船はやっぱり『戦艦大和』でしたがね・・・

 私が子供の頃には近くに製材所があったので板切れを拾いに行きました。
 しかし、今の製材所のようにふんだんには落ちていませんでした。
 何しろ、端財の隅の隅まで利用していて、細いところまで『薪』にしていましたからね。
 製材所から拾ってくるのですから、当然カンナなど掛かっていません。ざらざらのままです。
 今なら、サンドペーパーで磨くということもありですが、あの時代はそんな貴重な物が子供の身の回りにはありませんでした。
 セメントの荒いところでこすって、次にモルタルのところでこすって・・・
 ちゃんと、サンドペーパーの番号を変えるような知恵は先輩から受け継いでいましたね。

 のこぎりも両刃の縦挽き、横挽きのあるようなものは使わせてもらえないので、目の粗い薪を切ったりするものが子供の使ってよいものでした。
 当然、切り口は汚いし、最初の一道が入りにくいので手を切るなんて毎度のことでした。
 血が出れば「チュッ」と吸って、しばらく押さえている・・・たくさん出たら、ヨモギを揉んでつける、ヘクソカズラも使いましたね。
 止まり難かったら、ぼろぎれで縛っておく・・・
 今のママさんたちが見たら腰を抜かすようなことをやって育ちました。
 第一、『救急車』なんて物は存在しませんでしたからね。
 もちろん、『バンドエイド』なんてあるわけがありません。

 『血と汗の結晶』とか『血と涙の結晶』などといいますが、その頃の手作り玩具は、まさにその通りの物が多かったのです。
 自分たちで作らないと遊ぶ道具がないのですからね。
 しかし、その作ることが遊びでしたし、手を切れば血が出る、すごく痛い・・・
 チャンバラでもルールどおりに寸止めとかしないとものすごく痛い・・・
 そんな当たり前のことを自分の体で覚えて行ったものです。
 だから、喧嘩にもルールと手加減があったのです。

 丸太とか木の枝とかがあれば、陣地を作って雨風を防ぐくらいは中学に入る頃には出来て当たり前でした。
 釘など必要ないですね。
 『葛かずら』や『藤ヅル』場合によっては『サツマイモのツル』で縛れば出来上がりです。
 サバイバルの術は子供の頃の遊びで身に着けたものです。

 そして、決め手はやっぱり『肥後守』でした。
熊野の旅 手作り玩具 3_d0045383_1211666.jpg

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-01-25 12:01 | 熊野


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