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LUZの熊野古道案内

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2009年 01月 24日

熊野の旅 手作り玩具 2

 手作り玩具しか遊ぶ物が無かったからでしょうか、何でも作ってそれで遊んでいましたね。
 何しろ物の少ない時代に子供時代をすごしましたからね。

 この辺りは田舎ですから、駆け回る野山は一杯あります。
 ただ、本に出てくるような『原っぱ』はありませんでした。
 何しろ紀伊半島には平地が少ないし、私の育ったのはその中でも山間部でしたからね。
 平らで広いのは運動場と田んぼくらいの物でした。

 ホームセンターとかハンズでキットを買ってくるなんて時代じゃないです。
 物を作るのにふんだんに使えるのは『川原竹』でした。
 この辺りの川、ことに熊野川水系の『大又川』などは清流ですが急流です。
 日本有数の集中豪雨の降るところですから、一雨降ると川は恐ろしい勢いで流れ、川幅一杯になり、岸の田んぼの石垣を洗います。
 狭い川原の草地などの部分を守るために『猫柳』や『川原竹』が植えられていました。
 ことに『川原竹』は密生するし根をぎっしり張るので岸辺を固めるには最適な植物です。
 大又川沿いには無限に近い『川原竹』が生えています。
 この川原竹の生えている部分はほとんど『官地』のはずですが、入会権(いりあいけん)ではないのですが、それぞれ所有権のような竹などの採集権が各家に割り当てられているところが多かったようです。
 農作業で使うキュウリやナスビなどの「手」もこの竹です。フトンを叩いたり手ぬぐいを掛けたりするのもこれです。
 生活の中にきっちり入り込んだ物だったから川原竹も大切にされていました。
 適当に採集し間引きするから勢いの良い竹が生えてきます。だから、川原竹の林の中も歩ける隙間が合ったのです。
 今では荒れ放題みたいですけどね。

 この川原竹を切って来て、『刀』を作りました。
 『チャンバラ』に使うものですが、当時はチャンバラの刀も単なる棒切れではありませんでした。
 川原竹を好みの長さに切り、節の部分もきちんを削り、更に火であぶって適当な反りを作り出し・・・柄には切れを巻いて・・・鍔まで工夫する子も居ました。
 これを腰にさして通学していました。
 ことに冬場は盛んでしたね。
 教室では机の脇に立てかけるのですが、すぐに倒れるので先生にとっては邪魔な物です。
 おしまいには教室の後ろに『刀置き場』を作りました。
 まるで江戸時代のお役所みたいな物です。
 男の子の数だけ刀が部屋の後ろに掛けてあるのですからね。
 教科書や親への連絡手紙などを忘れて帰る子は一杯居ましたが、『刀』を忘れて帰る子は居ませんでしたね。
 『武士の鑑』ならぬ『ガキの鑑』ですね。

 今では、竹の棒を作るときには両端には節を付けないといけない事も分からない子が多いでしょうね。
 小さなナイフで竹を切断するには刃を押し当てておいて、竹を転がしてすっぱり切るなんてことも・・・
 竹は見かけより硬いしすべるから手を切る危険も大きいし、刃物が傷むことも・・・
 その年に生えた緑色のきれいな竹は使い物にならないことも・・・
 昭和が終わる前に忘れられてしまったのでしょうね。
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熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-01-24 11:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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