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LUZの熊野古道案内

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2009年 01月 16日

熊野の旅 太地 かつては花形だった

 紀伊半島の南、和歌山県東牟婁郡太地町、かつては花形だった町です。
 
 江戸時代にはすでに捕鯨の町として栄えていたところです。
 一度目のピークはやはりこのクジラからでした。
 日本が遠洋捕鯨・近代捕鯨に乗り出した頃から『クジラ捕りは太地』と言うことで、太地の漁師が大活躍しました。
 船が大きくなり、せんだんを組んで南氷洋に出かけるようになると、小さな港しかない太地や勝浦では納まりませんから、太洋漁業は下関に基地とか工場を設けるなど集約されてゆきました。
 太地と下関・・・随分かけ離れた港になっても、太地の漁師は活躍を続けたようです。
 捕鯨母船やキャッチャーボートの操船はやらなくても、最終的にクジラを仕留められるかどうかの鍵になる『砲手』は退治の漁師だったとか言います。
 荒れる南氷洋でまさに木の葉のように揺れる小型のキャッチャーボートのへさきに立ってわずかな時間だけ浮上するクジラをめがけてモリを発射するのはクレー射撃よりはるかに難しい物でしょうね。

 今では、半分以上の日本人は『捕鯨母船』も『キャッチャーボート』も知らないようになりました。
 大きな『母船』のお尻が今のフェリーのように開いていて、巨大な『シロナガスクジラ』をウインチで引き上げている写真なんて見たことも無いでしょうね。

 戦後しばらく続いた南氷洋捕鯨時代は退治の漁師がえばって居た時代でもあったのです。
 その南氷洋捕鯨が世界中の反対で『調査捕鯨』なんてのに変わってしまってからは。せんだんが幾つも出かけるわけではないし、砲手の需要もなくなってゆきました。
 そして、胎児に残されたのは、古から続く、地形を利用した『追い込み漁』だけになってしまいました。
 しかし、このゴンドウクジラなどの小型クジラ中心の捕鯨だけは太地の伝統漁業としてずっと許されています。
 近年では「グリーンピース」がこんな所まで押しかけてきて妨害をするようです。
 世界の金持ちのお坊ちゃまお嬢ちゃまが金に飽かせて走り回る組織みたいなので、漁師にとっては厄介な物でしょうね。
 食物連鎖の天辺だけを守ったのでは普通の食用の魚が足りなくなります。
 少し間引きしても良いはずなのですが・・・
 この流れで太地が花形だった時代は終わりを迎えたのでした。
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記事関連の地図です

by je2luz | 2009-01-16 10:35 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 奈良熊本 at 2009-01-17 07:23 x
太地町には、去年も行きました。
子供たちも大好きなようです。

高速度尾路がもう少し伸びると
行きやすくなるのですが、
まとまった休みがないとなかなか伺えません。

ああ、また行きたいな~と思っています。
Commented by je2luz at 2009-01-18 13:36
 三十年ほど前に比べると、ずいぶん淋しくなりました。
 最早、付帯施設を作って巻き返せる時代ではないようです。


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