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LUZの熊野古道案内

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2009年 01月 11日

熊野の旅 一揆鎮圧 赤木城 2

 赤木城に来て城跡を見て、まず驚くのは小さいながら本格的な築城された物だと言うことでしょう。
 上に登ると、『城』のミニチュアを見るような感じです。
 一つ一つの建物跡の敷地は今の宅地分譲程度に見えます。
 これは急斜面の上に建てられた地形状仕方ないわけです。と、いうよりそれを利用して攻めにくい城を築いた訳です。
 豪族が住む『館』では無いのは一目で分かります。
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 次に思うのは、一番上に登っても遠くまでの眺望が開けないと言うことです。
 高い山に囲まれた中の下り尾根の小高い所に造られています。
 私達が一般に見学する城は平地とか平地を望む山とかの上にあり、領地をずっと見渡せる、領民からよく見えるところにあるものです。
 攻めてくる敵を発見しよく、下々には殿様のご威光を見せびらかすことの出来る所でです。
 しかし、『赤木城』は見渡すほどの辺地は無く、見せ付ける領民もあまり居ない山の中です。
 まさに、山城なのです。
 なのに、難攻不落といえるような城を作ったのは・・・
 まずしい紀州と南吉野の山間部は百姓一揆が起き易いからと言うこともあるでしょう。
 大きな豪族も育たず、大きな大名が住み着けるところでもないので一揆とかが起きよいし、不便な割りに都や大阪に近いし、放置すると飛び火するのが『一揆』ですから、積極的に鎮圧したのでしょう。

 歴史上ではこの赤木城のきっかけになった『天正一揆』以降も幕末に掛けて何度も何度も一揆や押し掛けが記録されているようです。
 この紀和町赤木は吉野からの西山街道・海からの尾呂志街道・本宮道の合流点に近く、見晴らしが悪くても、吉野十津川・北山、紀州奥熊野の二つを見張るには良い場所なのです。
 だからこそ、太閤秀吉も藤堂高虎なんて結構大物をこんな僻地に送り込んだのでしょう。

 この『赤木城』から少し離れた街道の分かれ道の所に一揆の謀反人を処刑した刑場跡があります。
 見せしめ刑ですから、谷あいではなく高台にあります。
 今ではそこも観光材料にされていて看板も出ています。
 これも道のすぐそばなので、赤木城に向かえば見落とすことは無いでしょう。
 食い詰めた百姓のデモ隊が暴徒化したときの犠牲者の処刑跡です。
 観光化するのもどうかと思いますがねえ・・・
熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-01-11 10:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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