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LUZの熊野古道案内

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2008年 12月 03日

熊野の旅 古い家

 この辺りには見るからに古いといった感じの『古民家』があまりありません。
 木本の町中でも、『お屋敷』が無いので立派な家はあまりありません。
 紀州桧を使って建てた家ですから、耐久性はありますから、100年とかの家はあるのですが、イメージ的に『古民家』にはなら無いのです。

 山間部や農村部に行っても、そうした風な家が目に付かないのは、相対的に家が小さいことと、屋根の形がシンプルな切妻のような物が多いからでしょう。
 二山ほど越えた奥吉野の里になると、寒い雪国の様相を呈し、急勾配のいかにも田舎らしい家が増えます。

 暖かいと言っても、昔は今よりうんと寒かったですし、家のたてつけも悪かったですから、当然、暖をとる必要もあったのです。
 海岸線はせいぜい手あぶり火鉢とかコタツでしたが、山間部の一部では『囲炉裏』を作っていた時代もあったようです。
 そのため、昔の家には殆んど天井が張ってありませんでした。
 天井を張ったのでは囲炉裏など焚けませんからね。
 おまけに、炊事用の『かまど』にも煙突が無かったのです。
 家々に煙突が立ったのは随分新しいことのようです。
 ブリキや石綿などの煙突は当然近代のものです。
 土管の煙突もそんなに古くは無いようです。
 代わりにおあったのは、ヒモや竿で開閉する『天窓』でした。

 煙突の無い囲炉裏に煙突の無いかまど・・・
 ものすごく煙たい物だったでしょうね。
 でも、燃える火はものすごく魅力的な物です。
 焚き火をしていると、何となく人が集まってきて輪になるという風景が昔は良く見られました。
 いまでは、庭で焚き火をすることが事実上禁止状態ですけどね。
 葉っぱを燃やすと『ダイオキシン』が出来ますからね。

 私が小さい頃には、ご飯をかまどで炊いていました。
 冬場の夕方、家に帰ると、片方のかまどでは『はがま』でご飯が炊かれていて、もう片方では『かんす』でお湯が沸いていました。
 湯沸し機なんてありませんから、その『かんす』の湯を薄めてかじかんだ手を洗いました。
 栄養が悪かったからか、今より寒かったからか、物が持てないほどかじかんだ手をいきなりお湯につけるとものすごく痛かったものです。
 実に気味の悪い痛さでしたが、大人になってからは経験ありませんね。
 そうしながら、かまどの前に座り込み、火の番をしながらかまどの火を眺めたことを覚えています。
 もちろん、私は昭和の子ですから『くんど』(かまど)には煙突があったので漏れてくる煙程度でそんなに煙たいものではありませんでした。

 この『煙』のおかげで、田舎の家は長持ちしたのです。
 『かやぶき』の家などでは、囲炉裏やかまどの煙が出なくなるとすぐに屋根が腐り家が傷んだそうです。
 この辺りは『かやぶき』では無く、『檜皮ぶき』や『杉皮ぶき』が多かったのですが、そうした家も、年中煙でいぶしていたからこそ、腐らずに持ちこたえて居たのです。
 100年とかになる家は柱はもちろん黒光りしていますが、天井裏、小屋組みはすすけて真っ黒です。
 昔にいぶした煤のおかげでそうした家の木はかびたり腐ったりはしません。
 ただ・・・
 そうした家は夜中一人になると・・・怖いものです。
 冬になると、木が乾燥して、ホゾが抜ける音や100年経っても木が割れる音が、『ピシッ』・・・『パシッ』と響いたりします。
 毎日肝試ししているようなものでした。
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木本町全図です

by je2luz | 2008-12-03 11:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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