LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2008年 11月 30日

熊野の旅 獣害 万里の長城

 秦の始皇帝の頃から営々として築かれ、世界地図にも大きく書かれ、宇宙からも確認できる建造物に『万里の長城』があります。
 日本にもそんなものがあります。
 「万里の長城」が少しオーバーなら『千里の長城』くらいにはなるでしょう。

 それは『しし垣』と言われるのもです。
 今では獣害を防ぐために山中にクレモナなどの魚網のような物を張り巡らせていますが、日本古来の獣害防除は『石垣』でした。
 この辺りは大昔から、いのしし、鹿などの獣による作物の食害が農民の悩みの種でした。
 まあ、これは紀州だけではなく全国同じだったでしょう。

 この厄介な獣害を防ごうと築かれたのが『ししがき』だったのです。
 いつ始まったのかなどと言うことははっきりしないでしょうが、江戸時代にはあちこちでせっせと作られていったようです。

 「ししがき」は石垣です。
 集落の裏山に造られた、高さ1mから1.5mほどの物ですが、延々と山の中を走ります。
 基本的には切れ目を造りません。
 鹿でも猪でも賢い動物ですから、切れ目をあちこちに造ったのではそこを通路にして集落に通うようになるからです。
 石垣は自然石を拾い集めて積んであります。
 石だらけの山もありますが、積み上げて塀を造るだけの石はその辺に転がっている物をちょいと集めて・・・と言うような量では済みません。場所によってはうんと遠くから運ばないと出来ない仕事です。

 百姓が貧乏だった時代、腹をすかせていた時代にこうした建造物が作られていったのです。
 今ならさしずめ、『農林水産省』の補助事業で土建屋が巨費を掛けて造るのでしょうが、昔は殆んど手弁当で農地を守るためにやったのでしょうね。
 せいぜい、大百姓などの寄付があった程度でしょう。
 ここまでしないと、年貢も納められない、飢え死にする・・・と言うほど大変だったのではないでしょうかね。

 かつて、新鹿出身の熊野市の観光課長がこの『ししがき』を文化財にしようと提唱していました。
 新鹿も山の中に『ししがき』が連なっているようです。
 飛鳥でも五郷でも育生でも・・・
 熊野市中ではなく、紀伊半島中の山中に走り回っています。
 今では手入れもされずに崩れてしまった所や、通行の邪魔になるからと壊されたところなどでかなり切れ切れにはなっているようですが、そっくり木を切り倒して地表をむき出しにすれば、この蛇のように山中を這い回る石垣ははるか上空からでも確認できると思います。
 万里の長城と違うのは、集落ごとに独立して完結していると言うことです。
 今ではかなり山の中と言う感じのところが多いですが、良く見るとその『ししがき』のすぐ下には水田や畑の痕跡があります。
 それを見ると、昔の百姓は随分広く開墾して居たのです。
 戦後すぐの頃には全て耕作されていたものですが、放棄されて半世紀・・・今では覚えている人もなし・・・本当に山の中です。
 その分、獣と人間の境界は山を下りて来ています。
 かつては、人間の臭いがぷんぷんしていた一帯にももう人間が入ることも無いですし・・・

 あまりにも当たり前の光景だったので、私の手元には『ししがき』の写真はありません。
 今度山に入って獅子が気のところを通りかかったらスナップでも撮ってきます。
 羊歯や雑木で埋もれていない場所に出くわせば良いのですが・・・

 ちなみに・・・
 古くは大きな獣は『しし』と呼ばれていました。
 『鹿』も『猪』も『しし』です。
 もののけ姫の『しし神様』も『鹿』姿ですよね。
d0045383_12175470.jpg


木本町全図です

by je2luz | 2008-11-30 12:18 | 熊野 | Trackback | Comments(1)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/8994269
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by 名無し at 2013-01-30 19:37 x
鹿対策に狼の導入 参照 http://japan-wolf.org/content/faq/


<< 熊野の旅 12月 漁師の心配      熊野の旅 獣害 海にも・・・ >>