人気ブログランキング |

LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2008年 11月 27日

熊野の旅 油屋お紺 地芝居

 昔、昭和20年代くらいには『どさ回りの芝居』が全国を回っていたものです。
 今では九州くらいにしか残っていないようですが、座長以下家族ぐるみと言う感じで村や町の公民館とか青年クラブなんて施設を使って講演しながら旅をしていました。
 『前のり』と言う先発隊が先に来て、賑々しく幟を立て、ビラを貼って宣伝し準備をしてゆきます。
 本体が来ると、チンドン屋のようにこれまた賑やかに、なのに少し物悲しげに宣伝して回ったものです。
 時代が時代ですし、田舎では旅館もないし、講演する会館で自炊して泊まっていましたね。
 俳優は『市川』とか『中村』なんて名前を名乗っていましたね。
 演目は時代劇から現代劇まで、構成員の特技次第で歌あり踊りあり手品あり・・・
 子供だったので大して面白い物ではありませんでしたが、爺さん婆さん連中は涙を流さんばかりに感激していましたね。

 具体が佳境に差し掛かると、掛け声と共に『おひねり』が飛んでいました。
 今では、万札をヒモに通したレイがかけられたりするそうですが、戦後の貧しい時代ですから、ちり紙に包んだ5円玉とか10円玉だったのですがね。
 幕間には、おひねり代わりに舞台の端に大根やにんじんなどの野菜が載せられたり・・・
 劇団側もそうした差し入れであくる日の食糧を賄ったり・・・
 なんとも、不思議な連帯感のある大衆演芸でしたね。

 その時代には、そうしたものに刺激を受けたのと、他に娯楽もなし、『青年団』と言う組織が活発でしたから、そうした団体による芝居も演じられました。
 こちらは『地芝居・ぢしばい』です。
 これも、『青年クラブ』や『公民館』、『小学校の講堂』などで公演がありました。
 旅回りの役者よりは演技がぎこちなくても、地元の若い衆が演じるので別の意味で観客が熱中して居たようです。
 もちろん、『おひねり』は一杯飛んでいました。
 演目はこちらも様々で、時代劇から創作劇まででしたね。

 同じ頃には、小学校の『学芸会』も盛んで、まさに超満員の講堂での上演になりました。
 もっとも、今の学校のように広い『屋内運動場』が無かったので、うんと少なくても超満員だったのですがね。
 子供の数は多かったし、家内中、親戚まで来ると大変な観客になりますよね。

 いまの時代になると、保育所には『生活発表会』などありますが、『学芸会』も『地芝居』も『どさ周りの芝居』もなくなりました。
 昔、割合と身近にあった『芝居』が遠くなってしまいましたね。

 熊野では少し前から、好きな人たちが集まって演劇集団を作っているようです。
 花の窟にまつわる芝居などを市民会館などで講演していたと思います。
 今は、歌舞伎にも出てくる『油屋お紺』の練習をしているようです。
 この『お紺』は熊野市内の五郷町(いさと)の出だと言われています。
 飢饉で年貢も納められなくなったことで、身売りされ、伊勢の門前町、古市の郭に売られていった娘の話です。
 日本国中、何処にでもあった悲しい話しの代表ですね。
 戦後すぐ位まで、同じようなことが起きて居たのですから・・・
 近いうちにこれの公演はあるのだと思います。
 熊野まで、その日にこないと見られないお芝居ですがね。
d0045383_11355662.jpg


 カメラは エンサイン820・英国

木本町全図です

by je2luz | 2008-11-27 11:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/8980515
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 獣害      熊野の旅 本日休稿 >>