少し昔の日本では、割合と小さな町でも造り酒屋があったものです。
ヨーロッパのワイン醸造所ほどではないですが田舎にも沢山あって、大体において旧家であった物です。
そして、味噌・醤油・酢の工場もあり、その地方の食文化を支えていました。
そうした、地元での醸造・醗酵製品の味によってその地区の人の舌が決まっていた面もあると思います。
熊野市の中心は木本で江戸時代から結構賑やかだったと言われていますが、私の知る戦後ではそうした醸造関係の製造元はありませんでしたね。
串本、勝浦、新宮には酒や醤油、酢などの製造所がありますが・・・
ちょっと不思議な感じもします。
もっとも、こうした地方の製造所はどんどん減ってしまっては居ますがね。
一般家庭では何処の田舎でもそうですが、味噌を作る家は多かったですね。
一寸した家では、漬物部屋、味噌部屋を納屋の一部に作ったりしていました。
仕込んでから長く寝かせますから、ものすごく塩の効いた漬物と味噌でしたね。
しかし、味噌は塩辛かったですが、きちんと麹で醗酵させ、熟成した物なので、香に関しては今のスーパーにある大手メーカーの味噌など足元にも及ばない物でした。
この香があるので、好きな物にとってはものすごく美味しい味噌汁が出来る代わり、都会育ちで既製品の味噌しか食べていない人の中には食べられない人も居ました。
当然、造る家によって、造る人の手によって味噌の味は変わってきます。
まさに、お袋の味の味噌汁だったわけです。
造ることを忘れられた自家製味噌が近年ではあちこちで作られたりしていますが、昔の田舎味噌とは似ても似つかぬ別物、インスタント味噌みたいですね。
もはや、昔の自家製田舎味噌が復活することは無いでしょう。
私自身、昔の味噌造りの方法は何も知りません。
今作るとすれば、ガイドブックの通りにやることになり、木本で作った『全国共通味噌』になるでしょうね。
造り酒屋などは無いけれど、『どぶろく』を造るお祭りは山間部『育生町』に残っています。
毎年、終わってから気が付くのですが、昨日だったようです。
当日、育生町の大森神社にお参りすれば、何処の人でも『どぶろく』が振舞われます。
ただ・・・
車で無いと行きづらいし、車で行くと飲めないし・・・
その辺は良く考えてください。
木本町全図です