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LUZの熊野古道案内

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2008年 11月 22日

熊野の旅 熊野の道 下界へ

 熊野のこの辺りから外に向かう道はどの道を使っても京の都に向かうことになるので、全て『上り』ともいえるものです。
 しかし、ここは『神々の里』ですから、それらの道は全部『下界』に通じるもの、つまり、『下り』でもあるわけです。

 下界をを結ぶ道は結構たくさんありました。
 そもそも、今の国道と言う物は昔の街道を改良して新道にしていった物が殆どです。
 五街道なんていわれる重要路線はすぐに近代化され、その後、他の街道もどんどん改良されて行った物です。
 昔の街道は山越えをして進んでいったので、特に険しい山で無い限り目的地に出来るだけ近いルートを通っています。
 近代的な自動車道路は山越えが苦手だったので,九十九折れの道を山肌に刻むと言う難工事を強いられました。
 日本中の国道でこうした難所がありました。
 それが、昭和40年代頃からの改良工事で長い長いトンネルに変わっています。

 この辺からの街道は、今では『熊野古道』と呼ばれる紀伊半島に首輪をかけたような形のものが主な物でした。
 これも、単一ルートではなくあちこちで別ルートが存在したようです。
 和歌山側では、大辺路、中辺路、小辺路などと大きく分かれています。
 このルートの一部は国道42号線、国道311号線、168号線等になっています。
 国道になったといっても、この国道311号線などと言うのはほんの数年前にやっと尾鷲と熊野の間が繋がったというものです。
 他には新宮から十津川経由で都に向かう物としては、大峯奥駈道などの修験道道に付随する物や、今の国道169号線の原型の北山道とか随分たくさんあったようです。

 車のために作られた新道は大体谷底を走っていますが、吉野山系などでは谷が深く険しいので沢歩きがしにくく、逆に尾根に出ると尾根伝いは意外と平らと言う所があるので昔のルートは山の上と言うことがあります。
 そんなルートは新道建設時代には無視されてしまいました。
 
 紀州・吉野から奈良へ、そして京都へ・・・見事に山が繋がっています。
 この山岳尾根伝いの道は『修験道道』として、忍び集団とも言われる山伏たちによって守られてきたそうです。
 これは北は羽黒山、月山まで通じるそうです。

 昨日も書いたように、昔の人は『歩く』ことになれていましたから、意外と苦にしないで山越えのたびをしたのでしょう。
 江戸者のような都会人でも、山手線も地下鉄も無いので歩き回って居たのですし、増上寺や池上のおそつ様にお参りするのも往復歩きですからね。
 江戸っ子は口も達者で足も達者だったでしょう。

 昔の旅人は、日の出前に出発して歩くのですから、随分進んだでしょうね。
 一日8里も歩けば6日で京の都です。
 人生が短かったのでその日数の比率は大きいはずですが、日常の時間はのんびり流れていましたからこの日数もたいしたことは無かったのかもしれません。
 人々の記憶から消え、地図には無し・・・そんな街道が一杯あったようです。
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木本町全図です

by je2luz | 2008-11-22 12:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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