LUZの熊野古道案内

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2008年 11月 20日

熊野の旅 紀州みかんと歴史

 熊野市の年表を眺めていて、ふと目に止まったのが、「1634(寛永11年)、このころ紀州みかんの栽培盛んになる」と言う記述でした。
 たまたま、昨日、みかんについて書いた所なので目に付いたのだと思います。
 その頃の紀州みかんはおそらく種のたくさんある、今とは比べ物にならないほど酸っぱいものだったのかと思います。
 私が子供の頃には『とみかん』などと言う種の多いみかんが残っていましたからね。
 それにしても、400年近く前から紀州はみかんの国になって来て居たのですね。
 まあ、そうでなければ紀伊国屋文左衛門も出なかったでしょうけどね。
 その頃は、大阪夏の陣冬の陣が終わって20年ほど経ち、本格的に徳川の世が始まった時期です。

 1650年(慶安3年)のところを見ると、『伊勢おかげ参りこの頃より流行』とあります。
 世の中の中心が京や浪速から江戸の移って行ったこの時期から、弥二さん喜多さんのような『伊勢おかげまいり』が盛んになって行ったようです。
 『熊野詣』は『伊勢参り』のオプションツアーになっていったのでしょうかね。

 江戸から伊勢までも随分遠いですが、伊勢から熊野までの伊勢街道は道も悪く険しいので、ちょいと足を伸ばすには向かなかったでしょうね。
 この伊勢参りも流行り廃りがあったそうで、江戸時代に5回、明治に1回ブームがあったそうです。
 国立公園指定とか世界遺産指定なんきっかけがあったわけでもないでしょうけど、何か火付けになる物があったのでしょうね。
 遠くまで足を延ばすのですから、世の中が平和でそこそこ景気が良くないと駄目でしょう。
 今は不景気・・・世の中はそこそこ平和なのですが、中々、熊野詣の気分にはなってくれないようですね。
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 その頃の熊野古道は『古道』ではなかったのでしょうけど、周りは今以上にうっそうとした木々が生い茂っていた物と思います。
 もちろん、熊や猪は一杯居たでしょう。日本狼も明治まではうろついていましたね。
 つまり、今以上に淋しい山道ですね。
 一人旅だと随分心細かったでしょうね。
 峠を越えて、その向こうに家が見えたときは嬉しかったでしょうね。

木本町全図です

by je2luz | 2008-11-20 10:32 | 熊野 | Trackback | Comments(1)
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Commented by 奈良熊本 at 2008-11-20 21:04 x
昔はトンネルも無かったのですよね?
木本と大迫はどのように行き来していたのですか?
地元の漁師であれば舟でしょうが、旅人は山越えの道があったのでしょうか?


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