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LUZの熊野古道案内

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2008年 11月 10日

熊野の旅 林業 伐採

 紀の国は木の国です。
 山又山の国です。
 海からすぐに山に変わりうっそうとした木々が茂ります。
 猫の額ほどの耕地が人々の食料を供給してきました。
 紀州は広いです。
 しかし、北のはずれの和歌山と紀ノ川沿い以外は昔からまともに人が住んでいません。
 だから、紀伊半島南部には大きな豪族も大名も発生しなかったのです。

 紀の国の産物は中世以降ずっと材木でした。
 江戸時代中頃にはきちんとした植林が始まるほど木を育てるには適した土地なのです。
 山が険しく道もまともに作れないところですが、熊野川水系の流れを利用して筏などで木を流して河口まで運んで居たのです。

 昔・・・戦前などの山の売買は、生えている木(立木)だけの売買もありましたが、土地ぐるみの山(ドジ山)の売買が多かったようです。
 そっくり買って、切れる部分は切り出して、その後を植林し、切るには早い部分は切れるまで育てるやり方が多かったようです。
 と、言っても、まともに私有林が売買されるようになったのは明治以降ですからほんの少しの時期と言うことですね。
 江戸末期から戦後の財産税などの混乱期までで、日本の山の所有形態が大きく動いて行ったようです。
 今の社会以上に、成金が出てその分没落する家も出たのです。
 近年の田舎では、成金は出ないのに破綻する林業かばかり出ています。
 国有林の『緑のオーナー』なんてのは出来た時から先が見えていたような詐欺事業ですが、契約満期になって元本割れが表面化してきているようです。
 これ以上の負担が個人の林業かにかかっているのですから持ちこたえられなくて当たり前なのです。

 紀州の山地では『山ノ神』が結構厚く祀られてきました。
 近年になるまでは、何だかんだ言っても、山主は山で、他の住民はそこで働くことで食べていましたし、新宮や木本、尾鷲などの中核の町もそれに付随して動く金で潤っていたのです。
 飯米(食べる分)は採れても、飯を食えるほどの百姓が殆どいないこの地方ではそれほど林業の力が大きかったのです。
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 この写真のようなお払いまではやらなかったでしょうが、今よりはずっと山や木に対する畏敬の念は大きかったのだろうと思います。
 同じように木を倒しても、下の写真のように『ヨキ』(斧)で『受け』と言う倒れる方向を決め木が裂けるのも防ぐ三角の切り口を作り、腰をすえてのこぎりで手ごたえを感じながら木と倒してゆく時代と、ガソリンエンジンを使って力づくで切り倒すのでは、先山(きこり)の気持ちも変わるでしょうね。
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 このように、神々が支配してきた山を人間が利用して、その分、人間も神々を身近に感じた時代は終わり、神々抜きの観光客が「神々の里」へ物見遊山に来る時代になっています。
 イベントとは言え、これが最後の『山入り』の儀式かもしれません。

木本町全図です

by je2luz | 2008-11-10 12:53 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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