LUZの熊野古道案内

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2008年 11月 07日

熊野の旅 飛鳥神社の祭り 4

 祭りと言うものの意味合いは随分時代によって変わってきたようです。
 古代、最初にスタートした時はおそらくは単純に豊作などに感謝し自然や神の対する畏敬の念などが先にたったものでしょう。
 社会生活が普及すると、それに人間の和や輪の要素が加わって、さらに、笛や太鼓が普及するとそれで賑やかに・・・
 権力者が現れると、その権力者がこの祭りを利用したり禁止したりしたでしょう。
 出し物も、人の交流と共に面白そうなものは少しずつ姿を変えながらどんどん広がって・・・
 民間信仰的な部分以外ではよく似たものが増えていったのでしょうね。

 全国的に見ると、限界集落が増えてきて、集落機能の麻痺と共に、鎮守様やお寺さんも氏子や檀家がいなくなってしまい、消え始めているようです。
 飛鳥はまだまだ限界集落までは行っていません。
 国道42号線、309(169)号線が通る便利な場所と言うことで、少しは人口減少が遅れているようです。
 しかし、もうすぐ『尾鷲熊野高規格道路』と言う自動車専用道路が海岸線の山をぶち抜いて通るようになります。
 有料の高速道路でさえ出来ると旧道と分散されて寂れるのに、これは無料の物ですから、なおさらそうした感じになるでしょうね。
 それでなくても、ポツポツしか車が走らない国道なのですからね。
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 今、こうした田舎を支えているのは、戦後から高度成長期に殆どの若者が都会に出て行った時代に田舎に残った『長男』の『跡取り』と、定年などでUターンしてきた人たちです。
 田舎に、家や少しの田圃があっても中々Uターンしてきませんね。
 15年や18年住んだ田舎より、40年50年暮らした場所の方が馴染んでいるでしょうし、そちらで貰った嫁さんが年をとってから知らない土地、不便な土地について来てくれないようです。
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 かくして、お祭りの日に集まってくる人たちも平均して年をとって来ています。
 私自体が老齢化して来ていますが、飛鳥に行くとまだまだ先輩方が一杯元気で集落を守っておられます。
 長老としてではなく、現役としてというのが悲しい現実ですが・・・

カメラは オリンパスワイド・DズイコーW35mm

熊野市飛鳥町です

by je2luz | 2008-11-07 11:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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