LUZの熊野古道案内

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2008年 11月 01日

熊野の旅 昔の道具

 昨日の続きです。

 何しろ、レジャー施設のモニュメント的な日時計の巨大な柱を切り出すと言うことですから、それに応じた伐採の儀式をやったわけです。
 昔は『山入り』の時にどうしていたのかと言うことを私に尋ねてきたくらいそうした儀式は消えてしまっています。

 木々には紙が宿り、まして、巨木・老木は神の寄り代とされてきた日本ですから、古くはかなりきちんとやっていたはずです。
 私が現場を知るようになったのは1960年代になってからですし、子供の頃の記憶も1950年代がやっとですから、そんなに古いものは記憶にありません。
 それでも、伐採が始まる日には、『先山(さきやま)』と言われる伐採人夫たちは山の入り口に集合して、入り口近くの大きな木を選んで、前に榊を立て、お神酒を供えて皆で拝んでいました。
 そして、形だけ木に斧をいれ、その日はそのお神酒を飲んでお開きにしていたように記憶しています。
 それが、段々バラバラでやるようになり、気にする人は自分でやる・・・程度になってしまい儀式ではなくなってしまいましたね。

 儀式と言うか絵にするための『山入り』ですから、今流にチェーンソーでウィーン・バリバリ・・・と数分で倒してしまうわけには行きません。
 そこで、それらしく見えるように借り出されたのが、チェーンソーが入ってくる前の木こりの道具です。
d0045383_11404441.jpg

 上から『ヨキ』・『鋸』・『クサビ』です。
 この鋸は少し小振りですが、これだけの道具で木を倒して行きます。
 もう一つ、腰にも小振りの『ヨキ』を差していました。
 蔓を払ったり、楔を打ち込む金づちにしたり、倒した後で枝を払ったりするのに使うものです。
 腰には『腰鋸』と言われる小型の鋸もぶら下げられていましたね。
 『鋸』は山に応じ大きさを色々そろえていました。
 そうそう・・・お尻には鹿やイノシシの皮で作った座布団のような物をぶら下げていました。
 どっしり腰を下ろしてのこぎりを使いましたからね。 

 『先山』のいでたちは、今に比べると身軽な物でした。
 今のように大きなチェーンソーや燃料・オイルなんてありませんからね。
 チェーンソーになっても『クサビ』と『腰斧』は昔の通り持っていますからね。
 昔の先山が家から通うときに持っていたのは、二食分の弁当でした。
 今のように軽四輪とかで通うのではなく、自転車とかですから現場までの時間が掛かり、早朝から出勤していましたし、重労働ですから一食ではたりなかったのです。

 その頃の弁当は『めはり寿司』とか『わっぱ弁当』でした。
 おかずはほとんど無し、せいぜい『サンマの丸干し半匹』だったようです。
 その『サンマの丸干し』も少しでおかずになるように、ものすごく塩辛くした『カンピンタン』だったようです。
 稼ぎの良い『先山』でさえそんな状態です。
 ご飯は一回で2合近く持って行ったようです。もちろん『麦飯』です。
 稼ぎの少ない『山刈り』などは、『茶粥』の米や麦の粒の部分をかき集めて持って行ったそうです。家に残る人はその汁の部分をすすったとか聞きましたね。
 そんな生活が昭和に入っても続いていたそうです。
 アフリカやアジアの映像はほん少し前の日本の姿なのです。

 話がずれてしまいましたが、この道具はそんなに古いものではなく、つい近年まで現役で使われていたものです。
 立ったままの木の皮を剥いだり、杉の実を立ち木の上で採取したりする、文化財的な五郷の林業家の方から借りてきたようです。

木本町全図です

by je2luz | 2008-11-01 11:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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