LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2008年 09月 25日

熊野の旅 今も昔も 土地争い

 近代に入って、土地の私有制、登記などが確立し、土地などが財産として確立してからは、所有権争い、境界争い、相続争いが頻発するようになったと思っていました。
 そして、昔は国盗り合戦で戦をしていた物と思っていました。

 織田信長ー豊臣秀吉ー徳川家康と天下統一が進んで、小競り合いは禁じられ、江戸時代には収まっていたのかと思いました。
 ところが、端末では結構村の境争いのようなことが起きていたようです。

 紀州は江戸時代から林業の国でした。
 つまり、山が財産だったわけです。
 自分たちの家の用材や薪や炭を確保するだけではなく、材木を浪速などに送って現金を得る手段でもあったのです。

 今から300年ほど前の宝永3年(1706)宝永8年(1711)などに、『山争い』と言う記録が残っています。
 あちこちで頻発したようですね。

 享保元年(1716)の暮れには木本の衆が大泊との境目を越えて、正月の飾りを採りに行き、大泊の衆と口論になったようです。そこで、木本の衆は大挙して押しかけ無理やり取ってきたというような事まで出てきます。
 今の熊野古道・松本峠を棒切れや鎌など手にして・・・
 『あれら、生意気に・・・』
 『やったってこうらい!』
 『かまんさか、今年の飾りは全部、泊で採ろうら!』・・・
 などと、いきまきながら越えたのでしょうね。

 相続の方でも、借金のカタとか博打のカタにとかで家屋敷・田地田畑の名義がおかしくなりかけたのか、『相続人以外に譲ってはならぬ』と言うお触れもその頃に出たそうです。

 こんなのが頻発するし、漁師は漁師で『おらが所の魚を獲った』と騒ぐし、放火はあるし、時化があると難破船が出るし・・・
 紀州藩の端っこの『奥熊野代官所』も結構忙しかったでしょうね。

 どうも、江戸時代の田舎も平穏無事、のんびりした物でもなかったようです。
 おそらく・・・
 今の時代の人が言うように・・・
 『昔はよかった・・・こんなことは起きなんだ・・・』と、言っていたのでしょうね。
d0045383_1155395.jpg


熊野市広域地図です

by je2luz | 2008-09-25 11:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/8665726
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 東南海地震300年前の例      信仰と親ものがたり >>