LUZの熊野古道案内

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2008年 09月 24日

信仰と親ものがたり

 今の世と違い、昔は『坊さんになる』と言うことは『出家する』『仏道に入る』と言うことに意味がもっと大きかったです。
 今も、同じ言葉を使いますが、何年かの修行僧時代を除けば、妻帯もできるし普通の人に近い生活が出来るのでかなり違うようです。

 昔は命を救うためにとか世間の目をごまかすためとかなどで子供を出家させたり寺に預けたりしたことも多かったようですね。
 将軍の子の『一休禅師』や鞍馬山の『牛若丸』など一杯だし、親鸞上人もそうした血筋だとか・・・

 ここの世界遺産に関連する人では、大峰山の開山、『役の行者』と言う大物が折られます。
 山に籠もり、道を目指し、仙人のような術も身につけた修験道の高僧です。
 この方も、人の子です。
 母親って物があります。
 子供がどれだけ立派になって、自ら修行をはじめても、母親にとってはいつまで経っても『子供』なのでしょうね。
 大峰山の結界のすぐそばまで追いかけていって、ひたすら子供の無事を祈ったそうです。
 女人禁制がいまだに守られて?居る大峰山の結界の手前には『母公堂』があって、そこがお母さんが『役の行者』の無事を祈った所だそうです。
 下の写真がその『母公堂』です。
 日当たりの悪い寒い所です。
d0045383_137983.jpg

 もう一箇所の霊場。高野山には、お芝居で有名な『刈萱物語』が残されています。
 お芝居も疎いので中味は詳しく知らないのですが、仏道に入るということと、親子の愛を「いと悲しゅう」書いた物のようです。
 こちらは、どうも作り話の部分が多いようですが、根っこにあるのはよく似たものでしょう。
 そして、世俗の衆から見て、出家する、高僧になるということはそんなものだったのでしょうね。

 高野山は女人禁制ではなくなっていますし、聖地の雰囲気も奥の院周辺以外は観光地になってしまいましたね。
 坊さんは職業化しても、聖地はそのままであって欲しい物です。

熊野市広域地図です

by je2luz | 2008-09-24 13:08 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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