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LUZの熊野古道案内

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2008年 09月 12日

熊野の旅 やっぱり、山賊はいた??

 昔の旅人にとって怖かったもの・・・天候の急変はもちろんですが、陸路なら、『もののけ』『狼』『山賊』などでしょう。

 『もののけ』は昔の日本では一杯居たようです。それに、江戸の中期以降には『地獄絵』とか『幽霊画』が流行ったので、余計に山道、夜道は怖かったでしょうね。

 『狼』の方は先日も書いたようにこの辺では江戸時代から明治の初期とかにはうろついていたようです。しかし、襲われたなんて記録はなさそうです。

 最後の『山賊』のほうはいつの時代も居たのでしょうが、あまり記録にでないようです。
 どんどん人が通る所で何度もやれば当然捕まるでしょうし、人通りの少ない所だと、獲物は少なかったでしょうしね。
 山の中に暮らす人の中には副業として『山賊』をやる人も居たでしょう。
 戦国時代だけでなく。戦乱があれば、落人なんてのが迷い込んでくるし、そんな逃亡者のような人は身ぐるみ剥ごうと谷底に蹴落とそうと分からなかったでしょうしね。上手く行けばご褒美物ですからね。

 宝暦11年(1761)に、桃崎高尾谷(現・熊野市五郷町)にて、盗賊男女15名捕らえる。
 と、あります。
 五郷村のはずれ、国道169号線から大又川の支流を入った隠れ里のようなところです。
 戦後昭和30年代終わり頃、五郷の岡と言う人が、『桃源郷』を造るのだと言って、資材を投入してあまごやますの釣り場とかキャンプの出来る場所を作ったのですが、時代が早すぎて全く駄目だった所です。
 近年では、他所から来た『文化人』がそこに住み着いたりして居ましたから、『隠れ里』としては昔も今も変わらないようです。
 この盗賊団はどのような悪行を働いたか私には分かりません。
 しかし、総勢15名とは・・・立派な盗賊団ですね。
 旅人の少ない北山道だけではなく、あちこちに足を伸ばして山賊も働いていたのでしょうね。
 結構、情報網もしっかりし、奉行所とか村々の自警団がしっかりしていた江戸期になっても、こうしたものが存在したのですね。
 やっぱり、熊野はいつの時代も『秘境』です。
 こんな本業としての『盗賊団』が居る位なら、アマチュアの山賊まがいは沢山居たことでしょう。

 以前から私はよく言っていたのですが・・・
 『俺ら熊野の人間は、海賊と山賊の末裔なんじゃ・・・』はどうも真実のようです。
 しかし、ほんの少しばかりは『南朝の血』も『平家の血』も混じっている高貴な種族かもしれません。
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 近年増えた『文化人』と私が呼ぶ人たちは、昔々、平家や南朝などの落人が、都の文化をこの地に伝えたように、この辺には無い文化を持ち込んでいるようです。

熊野市広域地図です

by je2luz | 2008-09-12 11:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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