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LUZの熊野古道案内

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2008年 09月 11日

熊野の旅 二百年ほど前のこのあたり

 今から200年ほど前の記録を見ても、台風やら火災やら災難の記録が多いですね。
 
 ちょうど200年前の文化5年(1808)の記録に、『7月25日大時化(おおしけ)、奥有馬で人家30吹き崩れ、産田社の杉70本倒れ・・・』とあります。
 70本もの杉が倒れたとなると、産田神社の境内は明るくなってしまったものと思われます。
 今の産田神社の杉の木にはこの跡に植林された物もあるはずです。
 現存する入り口の巨木はこれより年をとっているようですし、該当するような大きさの木があまり見受けられないような気もします。

 この時代の記述に出てくる有馬とかの庄屋とか役付きの人の苗字は今でもその地区に残っていますね。速水・山門・南などですが、武家は無かったはずなのに、やたらと『苗字』のある家が多いです。他の地区の庄屋などは名前だけなのに・・・

 物見高いは人の世の常なのでしょう。
 文化13年(1816)3月22日に『南京船二木島に入津、5000石積、長さ21間幅8間、深7尋、船長高聖天、見物人山の如し、4月2日出帆し、同日浦神に入津』とあります。
 この通りだとすると全長40メートルほどの巨船ですね。
 今でも二木島は国道311号線で出かけるのは遠い感じで、テレビ出まで放送される『二木島の船祭り』には中心部の木本の人はほとんど行ったことがないくらいなのに・・・
 今の世界遺産・熊野古道の松本峠・大吹峠等を超えて腰に握り飯かめはり寿司でもくくりつけて、春の遠足よろしく出かけたのでしょうね。
 10日も居てくれたらしいですから、目先の利く人は、見物客にお茶を出したり、見よい場所に筵を敷いて席料を取ったり、芋をふかして売ったり・・・結構稼いだでしょうね。
 今でも、新宮港に帆船が入ったり、客船ASUKAIIが入ると見物人が押しかけるのですから、娯楽の少なかった頃には大変な話題だったでしょうね。

 この頃の熊野への巡礼者は年によって変動がありますが13000人台から18000人台くらいで推移しています。
 この数字って大きなものですね。
 全部徒歩で、宿泊付きの旅行ですからね。
 ゴミとおしっこだけ残す今の熊野古道歩きの『観光客』とは違いますからね。
 そして、その心根も、本当にご利益を信じ、熊野の山々に神や御仏を感じながら歩いた『巡礼』ですからね。
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熊野市広域地図です

by je2luz | 2008-09-11 12:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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