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LUZの熊野古道案内

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2008年 09月 06日

熊野の旅 幕末の熊野

 江戸からは遠く、京都・大阪からも遠く、大勢の兵をかき集めるほど人は居らず、交通の要衝でも無し・・・
 これは平成の今も変わりはないわけですが、江戸末期の混乱期もこの辺は余り大きな動きもなく過ぎて行ったようです。
 それでも、『将軍』の名前が出てくる文書があるようです。

 文久3年(1863)2月に『将軍家茂』が軍艦で上洛のため、21日に江戸表から乗船され、奥熊野須賀利、三木浦等に碇泊の予定なので、帯刀人ら18日までに木本代官所に詰めるようにとのお達しが飛脚便で来たようです。
 
 今でも、『神宮』(伊勢神宮)に天皇陛下とか総理大臣とかトップがお参りになると、三重県では端っこの『紀宝署』(旧鵜殿署)まで、特別警戒態勢になりますが、それ以上に天下を動かすはずの将軍様が動くとなればこうした警戒配備がなされたのでしょうね。
 それにしても、紀州藩でもこんな端っこだと、武士が配属されていないので、帯刀を許された郷士などをかき集めて兵力を確保したのですね。

 まさにこの時代、今年の大河ドラマ『篤姫』の時代ですね。
 きな臭いにおいのする船がこの沖を掠めて通っていた時代です。
 この前の年に、以前にも書いた安政2年(1855)の紀州藩分藩・村替え騒動のときに木本を紀州本藩に戻すために尽力された『吉田庄太夫』の恩に報いるため、木本神社に『吉田大明神』が祀られたのだそうです。

 また、この幕末の時期にはこの辺には日本狼が生息していたようです。
 日本各地でもそうだったようで、『狼』は恐れられるわりに嫌われては居なかったようです。
 文久3年(1963)1月に大又村(現・熊野市飛鳥町大又)の落とし穴に狼が一匹落ち込み、大勢して引き上げて放してやった・・・と言う日記の記述があるようです。
 おそらく、猪を捕るはずの落とし穴に狼が落ちたのでしょう。
 いくら賢い狼でも猛獣ですから、救ってやるのも大変だったでしょう。
 こうして守られていた狼も、明治以降に蔓延した狂犬病で絶滅したと言われています。

 動物検疫がいい加減になっている今のへんてこ動物のペットブームは何を引き起こすか分かりませんね。
 町中の我が家に庭にでも生き延びている『トカゲ』なども、輸入の爬虫類についてくるかもしれない病気で知らない間に居なくなるなんて事態も起きるかも・・・
 へんてこりんな、文明開化???が進行中ですからね。
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熊野市広域地図です

by je2luz | 2008-09-06 12:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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