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LUZの熊野古道案内

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2008年 09月 05日

熊野の旅 熊野灘 第五福竜丸

 海と言う物は条件次第ではものすごく怖いものです。
 陸に居ても高潮や高波・津波では登ってまで襲ってきます。
 砂を運んで島を作るかと思えば、休みなく陸地を削って自分の領域を増やそうとします。

 日本近海には、『灘』と言われる所が沢山あります、
 『灘』は字のごとく、『さんずいへん』に『難』と書くくらいです。
 当然、公開に危険が伴うと言うことです。
 海上保安庁の水路図誌にも鹿島灘・相模灘・遠州灘・熊野灘・播磨灘。備後灘・燧灘・安芸灘。周防灘・伊予灘・響灘・玄界灘・天草灘・日向灘の14箇所が乗っているようです。
 意外と瀬戸内に多いのは塩の満ち干による潮流の変化と流れの速さによるのでしょう。
 熊野灘は黒潮の流れと、直接太平洋に面していることでの台風の余波などが航海を危険な物にしているのでしょう。

 この熊野灘は神話の時代の『神武東征』の時の二木島における遭難以来、ずっと、遭難の繰り返しでした。
 江戸時代なども、風をよけて避難しようとした船が座礁した記述が沢山あります。木船ですから、『船が割れた』などと書かれたものもあります。

 そうした沢山の遭難の中で、沈んだ時にはほとんど話題にもならず無名の船だったのに、引き上げられるようになってから、一躍有名になったものもあります。
 『第三千代川丸』と言う船です。
 船が有名ではなく、そのエンジンが歴史資料として価値があったのです。
 
 1959年(昭和34年)米国の水爆実験でマグロ漁船の『第五福竜丸』が被爆し、船員の方々が戦争外の被爆者となり、無線長の久保山愛吉さんが放射線障害でなくなられたのです。
 その『第五福竜丸のエンジンが1967年(昭和42年)に買い取られ乗せられたのが、この『第三千代川丸』だったのです。
 この悲運なエンジンは1968年(昭和43年)に熊野灘で座礁し沈没したのです。
 その場所は隣町、御浜町阿田和沖になります。
 岸のすぐそばにしか船が座礁するような岩礁は無いのですが、沈んでしまいました。

 そして、長く海底に眠っていたエンジンは1996年(平成8年)に引き上げられ、元の『第五福竜丸』のそばに戻され、今は東京・夢の島で展示されています。

 もはや、『ビキニ岩礁』『水爆実験』『第五福竜丸』『久保山愛吉』『被爆マグロ』などと言う言葉を知っている人も減ってきました。
 本来は知っているはずの年代、60代以上の人も『忘れた』状態でしょう。
 引き上げられた時もほんの少し報道されただけで、いわゆる、トピック扱いで、『原水爆反対』とか『平和運動』に結びつくような物ではなかったですね。
 確かに、鉄の塊のどでかい旧式のジーゼルエンジンに過ぎませんが…

 この辺でも、このことはすっかり忘れられているようです。
 本当は困ったことのはずなのですが…
 暗いネタがいやなのも分かりますがね。 
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 カメラは ツァイス・ネッター518/16+ノバー75mm
熊野市広域地図です

by je2luz | 2008-09-05 12:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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