LUZの熊野古道案内

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2008年 09月 04日

熊野の旅 負の遺産

 以前に『木本事件』とか『いるか・ボーイズ』の事を書いたことがあります。
 ともに、戦前から戦中に掛けての強制連行や捕虜などによる強制労働が招いた悲劇です。

 『木本事件』は旧国道に残る『木本随道』の掘削工事中に起きた地元民による朝鮮人労働者の撲殺と言う痛ましい物でした。噂の流布による行き違いが事態をこじらせ、群集心理も手伝って止めようのない事件になってしまったものです。

 『いるか・ボーイズ』はイギリス軍捕虜が紀和町の入鹿鉱山に収容され、強制労働させられたもので、終戦後、生存者は母国に帰還できましたが、この地でなくなられた兵士も居られた物です。

 この二つは、曲がりなりにも遺族の方などと地元との強力で『慰霊碑』も建てられています。
 事実は消える物ではありませんが、慰霊とともに、こうした痛ましいことがあったと言うことを後世に伝える手段にもなっています。

 こうした事例の中で、この『入鹿鉱山・紀州鉱山』における、強制労働の犠牲者の中で、朝鮮半島からの人たちのことが置き去りにされてきたようです。
 同様のことは、北は樺太から南はルソン・ボルネオまで、鉱山・油田・軍需工場のあるところでは無数に近いくらいあったようです。
 現熊野市紀和町の『紀州鉱山』は軍需資源で大切な『銅』を産出するところですから、大々的に動員され採掘されただけに、犠牲者の数も多かったものと思われます。
 こうしたことの後日調査では、敗戦時に証拠隠滅で書類を焼いたり、散逸したりして実態が分からない場合が多いようです。
 強制連行では、元々どこの人間かの確認すら取らずに連れてきた例もあるようですし、『創氏創名』で日本名にして登録されているので追跡できないなどひどい状態のようです。
 軍人台帳のあった戦死者でさえ、半島出身の人の中には身元が分からない人が居るようですからね。

 『入鹿鉱山・紀州鉱山』でも、朝鮮半島からの労働者の慰霊碑を建てる動きが出ているようです。
 南北分断と言う複雑な情勢がこうしたことことでも足かせになってくるのですが、それを超えての動きのようです。
 ただ・・・
 こうした時に、行政はあまり力を貸せません。
 土地の世話をするとかの無形の協力は出来ても、予算処置などは憲法の規定に触れる恐れがあるからです。
 戦没者の慰霊碑・慰霊祭でもほぼ半数は違憲判決が出ていますからね。
 『木本事件』の件では、有志による寄付・社会福祉協議会による寄付などと言う形を取りました。
 しかし、ご遺族の方の団体の内輪もめで宙に浮いた経緯もありました・
 今回は『総連』と『民団』が協力するとかですから、スムーズに行くでしょうし、スムーズに行ってもらいたい物です。
 『入鹿』だけではなく、おそらく『那智』などの鉱山でも同じようなことがあったのだと思います。

 中国で戦死した親父、ビルマで戦死した叔父、沖縄で戦死したおばの夫・・・一人も遺骨は帰りませんでした。
 この人たちは日本人です。
 帰りたかったでしょう・・・
 しかし、自分の国のやったことです。
 自分の国のためでもなく、異国の地で命を落として・・・軍人ではないので恩給もなし・・・身元すら分からない・・・
 この負の遺産はなくならないものです。
 せめて、霊を慰め、平和を維持することだけでもやらなくてはならないでしょう。
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熊野市広域地図です

by je2luz | 2008-09-04 11:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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