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LUZの熊野古道案内

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2008年 08月 30日

熊野の旅 1868年

 私のように古い人間は・・・
 『いやロッパさん明治だよ』なんて覚えた年号です。
 1868年明治元年は今の子でも分かるでしょうが。『ロッパさん』は分からないでしょうね。
 熊野には関係ありませんが、『ロッパさん』は『古川緑波』と言うインテリ喜劇俳優です『エノケン』に並ぶ人気者でした。
 『エノケン』が分からない???
 そうでしょうね。『榎本健一』と言う超人気の喜劇俳優です。
 どうも、引用することが古いので引用になりませんね。

 日本の大きな変革期の節目の1868年の熊野では何があったのでしょう・・・
 明治になったのは9月8日ですから、年のうち2/3は慶応4年・江戸時代な訳です。

 いつの世も都だとか江戸だとかから離れた地ですから、そんなに大きな変化があるわけが無いのです。
 これまた、いつの世も戦があると落人が逃れてきたこの地には、明治維新の戦乱の時にも敗残兵が落ちてきたそうです。
 1月に80名ほど来て、木本に泊まったのだそうです。
 時代が時代なので隠れて住み着くなんてなかったようですが・・・

 この年の3月・・・正式にはまだ江戸時代なのですが、『国家神道』のうごめきが始まっています。
 熊野三山・熊野信仰にとっては大きな節目があったわけです。
 つまり・・・
 『神仏分離令』だ発せられています。
 後の『廃仏毀釈』にまで暴走したものの走りですね。
 なのに、今の日本人は仏像を破壊したと『タリバーン』を非難しますね。
 岡倉天心が尽力する前には奈良の仏像の大部分が無残な姿になっていたこともすっかり忘れられていますしね。

 熊野は古代信仰に日本の神道がくっ付き、更に渡来の仏教の浄土信仰や密教・修験道が結びついて、宗教の坩堝のような神々の里・浄土への入り口になっていたのです。
 一番目立つのは那智山でしょね。『那智山青岸渡寺』と『那智大社』の大きな建物が同じ敷地に建っていて、不自然に分けられています。
 他にもお寺なのに鳥居があるところもありますね。
 千年も前からごちゃ混ぜにしていた、土着信仰と神道、仏教を分けろと言われても困るのが熊野信仰だったはずです。
 ヒンズー教と同じように日本人の宗教感は何もかも抱き込んでしまうおおらかさ?いい加減さ?がありますからね。

 伊勢神宮、正確には『神宮』の始まりの元宮、丹後宮津の旧官幣大社『籠神社』(このじんじゃ)でも、祀ってある小さな祠などの横に看板が立っていて・・・『何とかの命=何々菩薩』なんて説明書きがあるくらいです。

 こんな国、余計もごちゃごちゃで、何となく『ご利益』がありそうな熊野信仰には困った命令だったでしょうね。

 明治だというのに、10月には木本では一揆がおき、代官所が襲われて『お代官様』が逃げ出したり・・・11月には代官を殺そうとしたり・・・
 この頃の木本は漁師町の様相が濃いところでしたから、気も荒かったのでしょう。
 何と言っても、『坂上田村麻呂』にやっつけられるまでは『鬼』の根城だったわけですからね。当然でしょう。
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 これは新宮の『神倉さん』です。この『神倉神社』も何だか土着古代信仰に神道が乗っかったような様相の熊野らしいものです。
 もっとも、格好付けた『速玉大社』を作って、そちらを本宮に扱っているようですが・・・

この周辺です

by je2luz | 2008-08-30 12:32 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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