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LUZの熊野古道案内

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2008年 08月 05日

熊野の旅 熊野のお盆 5

 お盆の事を書いているうちにお盆に入ろうとしています。

 この地方では昔は年に何回か、『お礼』と言って、お寺や本家筋や嫁の里などに届け物をする習慣がありました。
 正月・桃の節句・端午の節句・亥の子・お盆・春と秋の彼岸などですね。
 正月は鏡餅、桃の節句は菱餅、端午の節句はおさすり(柏餅の変形)、亥の子は塩味の小豆餡をまぶした亥の子餅、春と秋の彼岸は普通の丸餅でした。
 真夏のお盆は餅の類の好きなこの地方でも、さすがに餅を食べるような季節ではないので、『素麺』を持っていったものです。
 お寺にお供えするときは、こうしたものにお米を添えて行ったものです。

 これだけの回数、親戚付き合いするのですからお互いの状況は良く分かっていたと言うことにもなります。
 こうした『お礼』に廻るのは子供の役割でした。
 結構遠くの親戚にも出かけて届けてきました。
 小さい時は随分歩いて行きましたし、自転車に乗れるようになるとその行ける範囲が受け持ちに入りました。
 我が家では小学校の校長先生のところへもお正月などは届けましたね。

 この『お礼回り』は結構子供には楽しみな物でした。
 郁子とは面倒でしんどい物なのですが、『お駄賃』が楽しみだったのです。
 私が子供の頃は、まだ戦後の復興期でしたから、小遣いなどまともにもらえないですから、この『お駄賃』は貴重な収入源でした。
 正式のお返しは『としのみ』とか言って、空になった重箱の中にマッチが一個とか入っていたものです。持ってきた子供の『お駄賃』は原則、『現金』でした。

 この『お駄賃』は家によってものすごく差がありました。
 お正月は『お年玉』と言う意味もあり少し多めになるところもありましたが、そうしたときも普段の金額に比例していますからね。
 10円の所50円の所100円の所・・・この格差は大きな物です。
 私には4歳上の兄がいました。
 ご推測の通り、遠い所と率のよいところは兄貴の受け持ちになりましたね。
 残りのところが弟の受け持ち・・・
 二人も行ったら先様に迷惑を掛けますしね。
 これは仕方の無いことでしょう。

 どうやら、もう一回はお盆の話で食いつなげそうです。
 明日はこのお礼にまつわる話です。

 写真は大口お駄賃をくれた母方のおじいちゃんです。
 明治生まれ、山の中の下北山から旧三高に遊学したとか・・・
 口数が少なかったこと、いつも凛としていたこと、90歳を越えても勉強していたこと・・・そして禿げていたこと・・・が記憶にあります。
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この周辺です

by je2luz | 2008-08-05 14:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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