三重県、伊勢以南、熊野までの海岸は教科書どおりのリアス式海岸が続きます。
目の前は広い概要ですが、陸地の方は紀伊山地の端っこの山がそのまま海につながって切り立ったがけが続きます。
小さな湾がある毎に小さな川があり、その大きさに応じた小さな漁村がへばりついています。
こんな地形ですから、昔の行政区域も細分化されていました。
海岸線と言えばなだらかな場所と思いがちですが、下手すると山間部より隣りとの行き来が不便だったのです。
このリアス式海岸線の熊野と尾鷲の間に鉄道が通ったのは昭和35年(1960)頃です。道路が姦通したのは数年前です。
鉄道が通るまでは『陸の孤島』と呼ばれていました。
隣りの尾鷲側の賀田・輪内地区の子供はほんの少し便利のよい熊野市側の木本高校に進学しました。そして、『寄宿舎』が用意されていたのです。
こんな風に、集落ごとに孤立した地形の漁業ですから、その団体の『漁業協同組合』(漁協)も集落ごとにありました。
七浦あれば七つの漁協と言うことです。
昭和の末期から平成の頭にこうした漁協の統合を上からの指示もあって推進したことがあります。
金融・銀行部門を持った漁協の中にはド素人お仲間内経営の弊害での焦げ付き、着服が多発するし、補助行政も細切れ監督も行き届かないってことでした。
熊野市も6つの漁協があったのですが、合併に成功して今は一つになっています。
しかし、漁港の数は減っていません。
水揚げの統合も進みません。
そうは簡単に漁師がまとまるわけでもないです。
ここに来て、更に広域の合併を推進しているようです。
鳥羽以南の漁協を全部統合しようと言うことらしいです。その数24だそうです。
その中で二つの漁協は最早維持できないので解散だそうです。
熊野市漁協は独自路線を行くと言うことでこの合併には端から参加しないようです。
残り21・・・鳥羽から熊野と飛んで鵜殿まで・・・海の上を走れば100Km無いかもしれませんが、陸路で廻るとすれば大変な行程になります。
ここまでの広域合併に意味があるのかどうかも疑問です。
大層な職員を抱えるような漁協もほとんどないわけですし・・・
いまだに整備を続ける漁港を減らすわけにも行かず・・・
行政の方の人員削減などあるわけもなく・・・
鳥羽と尾鷲、尾鷲と熊野・・・大きく見てもこの地域では言葉も全く違うし、魚の呼び方もかなり違うくらいですからね。
誰が理事長をやるのやら・・・舵取りが大変でしょう。
行政の合併ほど簡単には統合後の運営はできないでしょうね。
熊野市漁協の選択のほうが正しいような気がします。
カメラは
オリンパス・ワイド
この周辺です