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LUZの熊野古道案内

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2008年 07月 12日

熊野の旅 昭和の風習

 昔、道が狭く、階段も多かった頃、そして、一輪車などと言うものもなかった頃には、物を運ぶのは100%人力の仕事でした。
 『担ぐ』『背負う』『さげる』『担う』・・・など腕や肩の力を使うやり方は今でもやる方法です。
 この方法は腕・肩・腰の力と足の踏ん張る力がかなり必要です。
 それでも、昔の人は当たり前にこれをやっていましたから、取り立てて力持ちでなくても20Kgや30Kgそこらの荷物は重いとも思わずに持ったものです。一人前の男なら60Kgくらいでふらついたら恥ずかしかった物です。
 女の人も、今のようにベビーカーとか自家用車なんてありませんから、子供が出来ると同時に、子供を背負って出かけるのが当たり前になり、結構重いものを運ぶのに慣らされて行ったものです。
 子供も田舎だと小さい時から百姓仕事の手伝いをさせられて体を鍛えて行ったのです。

 今は一部の漁師町とか、アフリカや南米の国とかにしか残っていない運搬方法ですが、荷物を頭に載せて運ぶ方法が各地でやられていました。
 この辺では『いただき』と呼んでいましたが、頭に載せると、背骨に垂直に荷重がかかるので上げてしまうと無理のない方法なのです。
 長い時間運ぶのにも適しているので、男に比べ力のない女の人の運搬方法としてよく使われました。
 『魚売り』をはじめ薪や木材まで『いただき』で運んだ物です。
 花を乗せて売り歩けば『大原女』なんですがねえ・・・

 頭の天辺は丸いですから、物を載せると安定しませんし、すぐに骨ですから痛いです。それを防ぐため、わらなどでドーナツ状の輪を作り布でカバーしたものを用意して、まずそれを頭に載せ、ヨイショ!とその上に荷物を乗せて運ぶわけです。
 なれた人だと、バランスをとって乗せますから、両手を離しても大丈夫ですたすた歩きます。
 このあたりでは昭和40年ごろまではこうした『いただき』で魚を売りに来るおばさんが普通に見られたものなのですが、それがリアカーになり・・・そのうちに『魚売りのおばさん』自体が居なくなってしまいました。
 まして、普通の人が荷物を頭に載せて運ぶなんて見られなくなりました・・・と言うより、『いただき』が出来る人も居なくなったのでしょうね。
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 カメラは オリンパス35S1.9

この周辺です

by je2luz | 2008-07-12 09:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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