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LUZの熊野古道案内

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2008年 07月 11日

熊野の旅 昭和の年寄り 2

 半世紀ほど前のお年よりは今のお年寄りより信心深かったように思いますね。
 自然死ではない戦争による死者が身の回りに沢山居たのも信仰心を厚くした一つの要因でしょうね。
 第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争・・・呼び方は色々ありますが、戦死者の割合は田舎のほうが多いですからね。
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 この写真は熊野市飛鳥町の本乗寺の檀家が寒行の一日を、八丁坂を徒歩で越え、新鹿まで出かける風景です。山道を10Kmほど歩く行程ですが、お上人に続く隊列には結構年寄りが居ましたね。年寄りと子供がお寺に集まるって感じでしたからね。
 もっとも、子供がお寺に集まったのはお供え物のお下がりがもらえる可能性が大きかったからですがね。
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 このおばあさんで幾つくらいだったのでしょうね。
 そんなに大年よりではなかったはずなのですが・・・
 後ろの堤防とかの様子では、新鹿の今の国道311号線、郵便局のあるあたりでしょうね。
 それにしても…お上人の向きとおばあさんの向きとバラバラですね。

 この八丁坂越えは結構急な山道ですが、牛車用の石畳の九十九折の道が明治時代に作られて飛鳥側には残っています。徒歩の場合はそれを貫くようにショートカットしたソマ道を使います。
 この頃には、新鹿で捕れた魚を樽に入れて山越えで飛鳥まで売りに来る魚屋がいました。もちろん、全行程徒歩です。
 一年のうちで300日は通ってきたでしょうね。

 今は県道新鹿佐渡線がトンネルで結ばれ、車ですっと行けるようになりました。
 従って、この旧八丁坂の峠を越す人は居なくなりました。
 昭和の中頃だと熊野古道より八丁坂越えの方が良く使われていましたね。
 カメラは オリンパス35S1.9

この周辺です

by je2luz | 2008-07-11 11:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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